3歳春~夏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 23:02 UTC 版)
2002年はシンザン記念7着、若葉ステークス2着を経て皐月賞に出走するが、15着と大敗した。しかし、京都新聞杯では6番人気ながら鮮やかな差し切り勝ちで、重賞2勝目を挙げると共に父ダンスインザダークとの同レース親子制覇も果たした。続く日本ダービーは15着、休養を経て出走した札幌記念でも13着と大敗した。その後、体調が整わなかったため、菊花賞へ直行した。
※この「3歳春~夏」の解説は、「ファストタテヤマ」の解説の一部です。
「3歳春~夏」を含む「ファストタテヤマ」の記事については、「ファストタテヤマ」の概要を参照ください。
3歳春夏(1891年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:01 UTC 版)
「コモン (競走馬)」の記事における「3歳春夏(1891年)」の解説
入厩当時のコモンはまだ未熟で、そのためポーターは2歳のうちはまだ競走馬としてデビューさせないでいた。3歳の春になるとコモンの成長ぶりは著しくなり、ついに競走馬としてデビューすることになると、その初戦には4月29日の2000ギニー(ニューマーケット・8ハロン)が選ばれた。 初めて競馬場に姿を現す前のコモンを『スポーティング・タイムズ(英語版)』紙が取材しており、同馬を「exceedingly fine(極めて良好)」と評している。直前に行われたエドワード王子との併せ馬では、王子の馬であるゴーンコーンとオリオンという馬2頭を軽く退けるパフォーマンスを見せていたが、それでもオッズは8倍、さらに当日には10倍に変更される程度の穴馬扱いであった。9頭立てで行われたこの競走で、先頭に立っていたのはフランス調教馬で上位人気だったピーターフラワーという馬であったが、残り2ハロンのところでコモンが「without an effort(軽々と)」先頭を奪うと、楽に走ったままゴール、2着馬オルビエトに2馬身差をつけて初勝利を飾った。3着にはピーターフラワーが入った。 この年のダービーステークス(エプソム・12ハロン)は5月27日に行われたが、当日は雹混じりの豪雨、さらに濃い霧の中での開催であった。レースが始まって先頭を切ったのはドゥーカスという馬で、これにフランス調教馬のガヴァナーがぴったりと続いて先団を形成していた。視界の悪い中、コーナーを回って丘の下りに入るとガヴァナーの目立つオレンジ色の勝負服が見え、さらにはドゥーカスらの先行集団、そしてコモンの姿も見えてきた。タッテナムコーナーを回るところでガヴァナーはドゥーカスを追い抜き、最後の直線入り口で先頭に立った。コモンはそのガヴァナーを残り100ヤードのところで捉え、さらに2馬身離してゴール、二冠を達成した。勝ちタイムは2分56秒80であった。3着には先行集団にいたマートンハーストという馬が入線したが、審議により降着、ザディームスターという馬が繰り上がっている。 ダービーの後、コモンはセントジェームズパレスステークス(アスコット・8ハロン)に出走してこれに勝利、その後7月10日にはエクリプスステークス(サンダウン・10ハロン)で古馬と初の対戦を行ったが、ここは古馬シュアフート、およびガヴァナーに遅れを取り3着に敗れた。
※この「3歳春夏(1891年)」の解説は、「コモン (競走馬)」の解説の一部です。
「3歳春夏(1891年)」を含む「コモン (競走馬)」の記事については、「コモン (競走馬)」の概要を参照ください。
- 3歳春~夏のページへのリンク