JRA移籍後
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栗東トレーニングセンター・坪憲章厩舎所属でデビュー。2004年3月6日、中京競馬第2競走を所属厩舎の管理馬・タイセキショウで優勝。中央競馬デビュー初日に初勝利を挙げた。2006年12月2日中京競馬第2競走でJRA通算100勝を達成、この年2006年度フェアプレー賞を受賞した。 2007年、競馬視察のため初の海外出張届を提出し、9月28日から10月2日までアメリカに滞在し、いったん帰国後の10月5日から10月10日まではフランスに滞在し第86回凱旋門賞などを観戦していた。 2008年7月13日プロキオンステークスにてヴァンクルタテヤマに騎乗、直線で逃げ粘るバンブーエールを交わして念願の中央競馬重賞初勝利を挙げた。2009年より栗東所属のまま拠点を美浦トレーニングセンターに移す。 中京、福島、小倉などのローカル路線での騎乗が多く、またそれら小回りコースでの成績がよかった。なお、同じ兵庫所属だった小牧太や岩田康誠に比べてJRA移籍後の地方競馬への参戦は少なかった。かつての所属だった兵庫での騎乗も少なかったが、後述のように2009年にハスフェルで園田金盃を制している。 2009年10月18日の京都競馬第6競走の若手騎手限定競走に騎乗した。これは2004年に若手騎手限定競走が復活して以来、若手騎手ではない騎手が若手騎手限定競走に騎乗した初の例である。これは、コウユールージュに騎乗予定だった高井彰大が落馬負傷し、当日京都競馬場に第6競走の騎乗予定がない若手騎手がいなかったための措置である。 2011年10月21日より、橋口弘次郎厩舎(栗東)に所属先を変更し、同年11月20日に騎手を引退。引退後は橋口厩舎で調教助手となったが、2019年時点で既に調教助手の職を辞し、京都市内でバーを経営している。
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JRA移籍後
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移籍後の初騎乗は2004年3月6日、初勝利は翌3月7日。 ダイタクバートラムでは同じようなミスを犯し、しかもミルコ・デムーロに乗り代わった途端に圧勝されるなど与えられたチャンスを生かせなかった。騎乗機会の多かった橋口厩舎の馬でも上村洋行(ペールギュントなど)や藤岡佑介(ローゼンクロイツなど)に委ねられるケースが増えた時期もあった。ただ、2009年にはローズキングダムでの朝日杯フューチュリティステークス勝利をはじめ橋口厩舎所属馬で重賞を4勝するなど、重要な場面での起用が増えている。 それでも移籍4年間で重賞を9勝(地方込み)、2006年2月26日の阪神第2競走で中央競馬通算200勝、2007年10月7日に中央競馬通算300勝を達成している。2007年2月3・4日には小倉大賞典・シルクロードステークスと2日間で重賞2勝するという偉業を達成している。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 園田時代の勝負服 緑色ベースの貸し勝負服を着用中の小牧 2008年4月13日、桜花賞をレジネッタで制し、JRA移籍5年目にして初のGI勝利を達成した。同年のスプリングステークスをスマイルジャックで制するなど同年のクラシック世代で活躍していることから、桜花賞実況の馬場鉄志(関西テレビアナウンサー)をして「今年は小牧の年か!」と評するなどとこの年は注目されていた。なお、桜花賞以後もレジネッタを優駿牝馬で単勝5番人気3着、東京優駿ではスマイルジャックを12番人気で2着に好走させ、それぞれのレースで3連単44万馬券、20万馬券となるのに一役買うなど、2008年の3歳春クラシックを盛り上げたジョッキーのひとりである。また、夏にはカノヤザクラでアイビスサマーダッシュ、セントウルステークスを制してサマージョッキーズシリーズに優勝、JRA移籍後初となるワールドスーパージョッキーズシリーズへも参戦した。 2009年7月19日、アイビスサマーダッシュをカノヤザクラで制し、人馬ともに史上初となる、アイビスサマーダッシュ連覇を記録した。 2020年10月17日、京都5レースでニホンピロマリブに騎乗し1着となり、JRA通算900勝を達成した。 なおJRA所属となってからも兵庫への参戦は活発で、2004年に条件レベルの交流戦を中心に地方全体で10勝を挙げ、兵庫での重賞成績は4戦2勝2着2回。三冠の園田ダービー、菊水賞では兵庫所属のホクセツガーデンに騎乗している。
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