日本に移籍後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 11:31 UTC 版)
「クリストフ・ルメール」の記事における「日本に移籍後」の解説
2015年、JRAの騎手免許試験を初めて受験し合格。同時に合格したミルコ・デムーロと共に、外国人として初めてJRAの通年免許を取得した。なお、フランスギャロは他国との二重騎手免許を認めていないことから、フランス騎手免許を返上した。 2015年2月27日、調整ルームでTwitterを使用し、JRA通年免許取得後のデビュー戦となった3月1日の阪神競馬場で騎乗予定の6鞍は全て乗り替わり、3月1日から3月30日まで30日間の騎乗停止となった。そのため、実質的なデビューとなったのは同年4月4日・5日の騎乗であった。その5日に移籍後初勝利が重賞(大阪杯)制覇であり、デムーロも移籍初週に阪急杯を制覇しているため、両名とも移籍初週に重賞制覇デビューとなった。現在Twitterは再開している。 2016年9月11日、JRA移籍後初めて、フランス競馬で騎乗。ニエル賞でマカヒキに騎乗し、結果は5頭立て1着。10月2日、凱旋門賞でもマカヒキに騎乗したが、14着だった。11月6日、東京競馬10Rでモズライジンに騎乗して1着となり、11月5日の東京競馬10Rから騎乗機会10連続連対を達成し、これまでに4人が記録していた9連続連対を更新する新記録をマークした。さらにこの日、最終12Rをペプチドウォヘッドで制して1日8勝をマーク。2002年12月7日に武豊が阪神でマークしたJRA最多タイ記録に並んだ。 2017年、ヴィクトリアマイルから東京優駿(日本ダービー)にかけてO.ペリエ以来となるGI3週連続勝利を成し遂げた。(騎乗馬はヴィクトリアマイルがアドマイヤリード、優駿牝馬がソウルスターリング、東京優駿がレイデオロ)。ソウルスターリング、レイデオロの2頭はいずれも藤沢和雄厩舎の所属馬であり、藤沢にとってオークスは初制覇、日本ダービーは藤沢初の牡馬クラシック制覇であった。JRA年間勝利数は最終的に199勝をあげ、外国人騎手として初めてJRA全国リーディングジョッキーに輝いた。 2018年、桜花賞をアーモンドアイに騎乗し優勝。この勝利により、武豊、蛯名正義に続きJRA主催の牝馬限定戦GI(阪神ジュベナイルフィリーズ、桜花賞、優駿牝馬、秋華賞、ヴィクトリアマイル、エリザベス女王杯の6レース)の完全制覇を達成した。また優駿牝馬も同じコンビで制し、同日迎えた39歳の誕生日に華を添えている。10月14日の秋華賞も同じコンビで制して同一年の牝馬三冠騎手となると、返す刀で菊花賞(フィエールマン)、天皇賞(秋)(レイデオロ)、JBCスプリント(グレイスフルリープ)を制し、史上初4週連続GI制覇を成し遂げた。11月25日のジャパンカップを再びアーモンドアイで制し、JRA騎手としては最多の年間GI8勝を達成した。これ以降のGI勝ちはなかったが、先述の通り年間215勝という驚異的な記録を打ち立てるなどの活躍等により同年の騎手部門を独占し、騎手大賞を獲得。さらにMVJも受賞し、『騎手4冠』を達成した。 2020年11月14日東京6Rを勝利し、史上25人目のJRA通算1300勝を達成した。6215戦目での達成は武豊の7022戦目を上回る史上最少騎乗回数での記録であった。11月29日、東京12Rジャパンカップをアーモンドアイで勝利し、騎手史上初のJRA平地G1・4連勝(天皇賞(秋)(アーモンドアイ)・エリザベス女王杯(ラッキーライラック)・マイルCS(グランアレグリア)・ジャパンカップ(アーモンドアイ))を達成した。 2020年12月19日、中山8Rを勝利して2018年以来自身2回目となるJRA年間200勝を達成した。2020年は最終的にJRA年間204勝を達成し、4年連続の全国リーディングジョッキーを獲得した。 デムーロが2020年1月より栗東所属のままで東京都に転居した上で美浦に活動の拠点を移したが、ルメールは従来通り栗東拠点で活動し、引き続き京都市内に居住している。 2021年5月16日、東京9Rをゴルトベルクで勝利して史上22人目のJRA通算1400勝を達成した。6650戦目での達成は史上最少騎乗回数であった。 2021年11月21日、阪神11Rマイルチャンピオンシップをグランアレグリアで勝利して史上19人目となるJRA通算1500勝を達成した。7048戦目での達成は史上最少騎乗回数であった。また、5年連続で優秀騎手賞1位に輝いた。 2022年、サウジアラビアでの騎乗から帰国後隔離中の3月4日、新型コロナウイルスの陽性判定を受け、予定していた同月5・6日の騎乗をキャンセルとなった。ホテルでの隔離療養の後、同月19日の中京競馬で復帰した。 2022年3月26日のドバイミーティングでの騎乗後帰国し、4月2・3日の競馬で帰国後の初騎乗を予定していたが、3月27日に接触者の中からPCR検査を受検した者が出たにもかかわらず、ルメール側からJRAにその事実を報告していなかったことが30日になって判明した。JRAでは所属騎手に対して同居人や接触する知人などがPCR検査を受ける場合は報告するように義務づけており、ルメールはJRAから4月3日までの待機を命じられた。この事について、JRAは4月3日付でルメールに戒告処分を下している。
※この「日本に移籍後」の解説は、「クリストフ・ルメール」の解説の一部です。
「日本に移籍後」を含む「クリストフ・ルメール」の記事については、「クリストフ・ルメール」の概要を参照ください。
- 日本に移籍後のページへのリンク