3歳初頭(1956年)
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「ニードルズ」の記事における「3歳初頭(1956年)」の解説
ニードルズの3歳初戦は2月6日、フロリダ・ハイアリアパーク競馬場での7ハロンの一般戦で、デイビッド・アーブ(英語版)が鞍上を務め2着であった。翌戦以降もアーブを鞍上に据えて挑み、続くフラミンゴステークス(ハイアリアパーク・2月25日・9ハロン)で2馬身3/4差の勝利を手にすると、1か月後のフロリダダービー(ガルフストリームパーク・9ハロン)では1分48秒60のトラックレコードで優勝している。 フロリダダービーのあと、ニードルズの陣営は6週後のケンタッキーダービーまで競走に使わないという方針を採った。この方針は当時としてはかなり珍しいもので、競馬関係者を驚かせ、なかにはこれが原因でケンタッキーダービーに負けうると考える者もいた。この6週間の間に、フォンテーヌ調教師はニードルズを朝方にエクササイズさせ、また出遅れ癖の矯正に注力した。
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3歳初頭(2013年)
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「オクスボウ」の記事における「3歳初頭(2013年)」の解説
3歳初頭から始まるケンタッキーダービーへ向けてのプレップレース路線において、オクスボウはまずルーカスの拠点であるアーカンソー州のオークローンパーク競馬場へと移された。そして、オクスボウが年内初戦として登録されたのは、1月19日のフェアグラウンズ競馬場で行われたルコントステークス(ダート8ハロン70ヤード・G3)であった。大外を回らされ続けた前走までとうってかわって、同競走では4番枠から発走できたオクスボウは、軽々と先頭に立つと後続に1馬身半ほどの間隔をあけて進み、最後の直線で鞭を打たれるとさらに差を広げ、2着馬ゴールデンソウルに11馬身半もの大差をつけて勝利した。 5週間後の2月23日、同じくフェアグラウンズ競馬場で行われたリズンスターステークス(ダート8.5ハロン・G2)にオクスボウは出走、2番人気に支持されるが、再び不利な外枠(12頭中10番枠)を引き当ててしまった。スタートから先行し、最初のコーナーを馬5頭分の外を回らされるものの、その後バックストレッチでは先頭に立って走っていた。そして最終コーナーを回った時点でまだ先頭に立っていたが、ここで後続馬の追い上げに屈してゴール、大穴のアイヴストラックアナーヴが優勝し、オクスボウは勝ち馬から半馬身差で4着に終わった。 3月16日のレベルステークス(オークローンパーク・8.5ハロン・G2)でも、オクスボウはまたもや10番枠(11頭立て)を引き当てしまった。当日は不良馬場で行われ、このための前走同競馬場のサウスウェストステークス(G3)を同じく不良馬場のなか11馬身差をつけて圧勝してきたスーパーナインティナイン(Super Ninety Nine)に人気が集中し、オクスボウはそれに次ぐ2番人気だった。オクスボウはこのスーパーナインティナインらと終始先行争いを演じ、最終コーナーでは先頭に立ったものの、最後の直線で同厩舎のウィルテイクチャージにアタマ差抜かれて2着に敗れている。 ルコントステークス前後の1月頃、ルーカスはクラシック路線におけるオクスボウの乗り役として、当時現役を退いて7年が経過していたゲイリー・スティーヴンスに打診していた。そして4月13日に迎えたアーカンソーダービー(オークローンパーク・9ハロン・G1)では、オクスボウの鞍上としてスティーヴンスを迎えての初の競走となり、以後オクスボウの引退までスティーヴンスが乗り役を務めた。またしても10番枠を引いたこともあり、レースではスタートから後手を踏まされ、終始後方から抜け出せないまま、勝ち馬オーバーアナライズから5馬身1/4離された5着に敗れた。
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