3歳三冠路線(1942年)
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「アルサブ」の記事における「3歳三冠路線(1942年)」の解説
3歳になったアルサブはクラシック三冠路線に向けて年初から始動するが、年明け初戦を6着に落とすなど、出だしは好調ではなかった。年明け3戦目のフラミンゴステークス(ハイアリアパーク・9ハロン)ではリクエステッドと再戦し、3着に敗れている。その後もチェサピークステークス(ハバディグレイス・8.5ハロン)2着、ダービートライアルステークス(チャーチルダウンズ・8ハロン)3着と惜敗ばかりで、結局ケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・10ハロン)までに7戦を費やしたが、まだ勝利を挙げることができずにいた。戦時下のチャーチルダウンズ競馬場で開催されたケンタッキーダービーには15頭の競走馬が集まり、アルサブはその実績から単勝5.1倍の2番人気支持された。しかしレース中は大きく外を回らされたこともあり、最後の直線で1番人気のシャットアウトを捉えきれず、2馬身1/4差の2着に敗れてしまった。 翌週、アルサブはピムリコ競馬場で開催されたプリークネスステークス(ピムリコ・9.5ハロン)に出走、前走2着ながらも10頭立ての1番人気に支持された。スタートすると後方待機策をとり、後ろから2頭目につけて道中を進んだ。最後の直線に向き合うまでその位置を保っていたが、鞍上のバジル・ジェームズの鞭が入ると弾けるように加速し、見る見るうちに前を行く馬を追い抜いていった。シャットアウトやデヴィルダイヴァーらを着外に突き放し、リクエステッドとサンアゲインの2頭を2着(同着)に抑えて1馬身差で優勝、クラシックホースの称号を獲得した。アルサブはこの勝利に際して、現地の競馬ファンから「もう一頭のシービスケットだ」と称えられたとされる。 ウィザーズステークス(ベルモントパーク・8ハロン)を挟んで出走したベルモントステークス(ベルモントパーク・12ハロン)では再びシャットアウトとの対戦となった。しかし、ここでは前を行くシャットアウトを捉えきれず、またしても2馬身差の2着に破れた。この競走中に怪我を負ったため、アルサブとしては珍しい2ヶ月ほどの休養期間が充てられた。
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