ガヴァナーとは? わかりやすく解説

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governor

別表記:ガヴァナー、ガバナー

「governor」とは、「知事」や「長官」「理事」といった地方行政首長民間企業や団体において重要な役職務める人のことを意味する英語表現である。

「governor」とは・「governor」の意味

「governor」とは、名詞として使われアメリカ各州知事日本の都道府県知事のことを指す。イギリスでは行政府の長官、地域統治者刑務所長という意味で用いられることがある。「governor」の複数形は「governors」である。また、イギリスビジネスに関するスラングとして「governor」の一語雇用主親方を指す場合もある。

「Governor(機械)」とは


「Governor(機械)」とは、回転など運動の速度自律的に調整する装置のことで、エレベーターフォークリフトなど様々な設備機械乗り物使われている。日本国内では調速機あるいはガバナー呼ばれることもある。技術開発に伴い従来型機械式ガバナーの他、油圧式電子式など機構性能異なるものも普及している。

「governor」の語源

「governor」の語源は、ラテン語統治する、船のかじを取るという意味の「guberno」である。

「governor」の発音・読み方

「governor」の発音記号は「gˈʌv(ə)nɚ」であり、カタカナ読みをすると「ガヴァナー」が近い。

「governor」の覚え方

「governor」の覚え方として、「バナナ愛す知事」と語呂合わせにして暗記すると良い

「governor」を含む英熟語・英語表現

「the governor of a prefecture」とは


「the governor of a prefecture」とは、県知事のことである。日本の都道府県知事を指す場合は「the governor」のみで通用する

「the accidental governor」とは


「the accidental governor」とは、発言の内容や行が行き当たりばったりで信用ならない知事を指す比喩表現である。

「deputy governor」とは


deputy governor」とは、行政企業最高権力者に次ぐ序列にある人、特に地方行政機関副知事銀行副総裁に対して使われることが多い。

「embattled governor」とは


「embattled governor」とは、スキャンダル政敵囲まれるなどして危機的な状況にある知事のことを指す。

「female governor」とは


female governor」とは、女性知事のことであるが、女性男性知事の数にあまり差が無い国や地域ではあまり使われない言葉である。

「incumbent governor」とは


incumbent governor」とは、現職知事という意味である。特にテレビ新聞などのメディアにおいて選挙の際に再選目指す候補者として扱われることが多い。

「be made governor」とは


be made governor」とは、知事就任する知事当選するという意味である。有権者の投票選出されたというニュアンス会話文章の中では受動態の形で使われる

「party-independent governor」とは


「party-independent governor」とは、無党派知事無所属知事という意味であるが、選挙の際に特定の政党から支援受けている知事含まれる場合がある。

「governor」の使い方・例文

「governor」の使い方


「governor」は、アメリカの州知事都道府県知事の意味使われる場合が多いが、スラング親しい人同士会話では勤め先社長自分の親など身近な人を指すこともある。

「governor」の例文


Incumbent governors tend to have a name recognition advantage over other candidates in the next election, but a poor performance during their term can have dire consequences.
現職知事は、次回選挙戦において他の候補者よりも知名度優位になりやすいが、任期中実績残せなかった場合厳し結果となることもある。

・In the United States, state governors have the same level of authority as the head of the federal government, and in some states, the political views of the governors themselves are strongly reflected in every aspect of the lives of the residents.
アメリカの州知事連邦政府の長と同等の強い権限持っており、州によっては知事自身政治思想住民の生活あらゆる場に色濃く反映されることがある

Depending on the country or region, the vice-governor may not be elected, but may be a civil servant who has been involved in administrative affairs for many years.
副知事は、国や地域によるが選挙選ばれた人でなく、長年にわたり行政事務携わった公務員就任することがある

・In some countries where the idea of gender equality is prevalent, there are nearly equal numbers of female and male governors, and voters take it for granted.
男女平等考え浸透している国では、女性男性知事同数に近いところもあり、有権者はそれを当たり前のこととし受け入れている。

・First-year governors are scrutinized by voters, and since they have no track record, they are expected to face prefectural government seriously.
一年生知事には有権者から厳しい目が向けられ実績が無い分、真摯に県政向き合うことが求められる

ガバナー【governor】

読み方:がばなー

知事長官総督

調速機


ガヴアナー

(ガヴァナー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 16:19 UTC 版)

ガヴアナー
ダービー優勝後のガヴアナー
品種 サラブレッド[1]
性別 [2]
毛色 黒鹿毛[2]
生誕 1932年3月9日[2]
死没 1935年5月28日[3]
シアンモア[3]
アストラル[3]
母の父 チヤペルブラムプトン[3]
生国 日本岩手県雫石村[1][4]
生産者 小岩井農場[3]
馬主 高橋錬逸[注 1][2]
調教師 布施季三(福島[2]
厩務員 茅島高平[3]
競走成績
生涯成績 3戦3勝[3]
獲得賞金 2万8230円[3]
勝ち鞍 東京優駿大競走1935[3]
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ガヴアナー(ガヴァナー、1932年3月9日 - 1935年5月28日)は1930年代半ばに活躍した日本の競走馬である。1935年東京優駿大競走(日本ダービー)を無敗のまま制するも、その約1か月後に調教中の事故が原因で安楽死となった。

全兄に1933年東京優駿大競走の優勝馬カブトヤマ[5][6]、全弟に1940年帝室御賞典(秋)の優勝馬ロツキーモアー[7][8]がいる。

経歴

出生

ガヴアナーの父であるシアンモアShian Mor)は、小岩井農場が英国の馬主から1万600ポンドで購入した種牡馬であった[注 2][9]。シアンモアは、1928年に牝馬のフリツパンシーと共に日本に輸入され、同年から小岩井農場で種牡馬として供用された[10]

アストラルは、競走馬時代に1927年の帝室御賞典を制した牝馬であった[11][12]。アストラルは下総御料牧場産であったが、競走引退後、小岩井農場が産駒改良のために購入し、同地で繁殖牝馬として繋養された[13][14]。シアンモアとアストラルの配合の結果、1930年には第九シアンモアが誕生、これは後にダービー馬となるカブトヤマであった[10][12]

そして1932年、前年の不受胎を経て、アストラルは同じくシアンモアの仔を出産した[10][12]。この馬には、第拾六シアンモアと名付けられ、これが後のガヴアナーであった[10]

デビューまで

ガヴアナーは、1934年8月に小岩井農場で行われた競市に出され、2万9660円で小岩井東山農事[15]の高橋錬逸に落札された[14]

この競市には、調教師の尾形景造も参加しており、尾形もガヴアナーに目を付けていた[16]。高橋は良い馬をとるために、尾形が最も高額を提示した馬を競り落とすよう、同行した布施季三調教師に厳命していた[3][17]。セリが始まると、尾形はガヴアナーに熱を入れ、同馬の価格は吊り上がっていったが、高橋は、あまりの高額に入札を渋る布施を励まして、最後には尾形より上の値段を付けて同馬を落札することに成功した[16][17]

その後、ガヴアナーは布施の元に預託された[18]。布施は、小岩井農場を経営していた岩崎家お抱えの乗馬クラブ教師だった経歴もあり、小岩井関係の馬をよく管理調教していたが、ガヴアナーもその一頭であった[18][19]

競走馬時代

1935年3月30日[20]中山競馬場の新呼馬競走でデビュー、井川為男が騎乗して初戦を飾った[18]。井川は、美馬勝一厩舎所属の騎手であったが、同厩舎所属の見上恒芳が布施の娘婿だった縁もあり、ガヴアナーへの騎乗を依頼されたといわれている[21]。井川は以後、全ての競走でガヴアナーの鞍上を務めた[22]。その後、4月14日[23]の新呼馬優勝競走も勝利、同馬の厩務員(馬手)であった茅島高平は、喜びのあまりガヴアナーに頬ずりをした[18]。2戦2勝としたガヴアナーは、目標としていた[24]東京優駿大競走に向かった[18]

迎えた東京優駿大競走は、前日夜から降り続いた雨の影響で、第1回以降四回連続で道悪の馬場での開催となった[15][16]。競走は11頭立てで行われ[15]、断然の一番人気は、古馬相手に帝室御賞典を勝った牝馬クレオパトラトマスで、ガヴアナーは二番人気に支持された[2][25]。ガヴアナーは前々日朝の調教で東京競馬場の内馬場(練習馬場)を124秒の好タイムで走破していたが、クレオパトラトマスの人気が勝る結果となった[17]

日本ダービー制覇の瞬間。独走するガヴアナー

競走は、発馬で出遅れたクレオパトラトマスが巻き返しをはかり、先頭に立って逃げる展開となった[26]。ガヴアナーは、第1コーナーを先頭から4馬身ほど離れた2番手の位置で通過、後ろにはアカイシダケ、チカラと続いた[16]。向正面までは展開変わりなく進んだが[15]、ガヴアナーは第3コーナーあたりでスパートを駆け、足が鈍ったクレオパトラトマスをバンケット付近で抜き去ると[26]、先頭で第4コーナーを回った[16]。直線ではアカイシダケとの一騎打ちになったが、アカイシダケが先に力尽き、ガヴアナーがそのまま1着で入線[3]。2着に6馬身の着差をつけるレコードでの圧勝であった[3]。3着にはホウカツミンドアーが入り、1番人気のクレオパトラトマスは9着に終わった[16]

ガヴアナーの勝利で、シアンモア産駒はカブトヤマ、フレーモアに続き日本ダービー3連覇を達成し[14]、カブトヤマとガヴアナーは史上初の兄弟ダービー馬となった[18]。井川は前回の日本ダービーでヤングパレードに騎乗し、フレーモアの6着であったが、2度目の挑戦でダービージョッキーの栄冠を手に入れた[15]

ダービー後の故障、安楽死

ガヴァナー墓碑
(2013年撮影)

日本ダービー優勝後、「どこまで連勝を伸ばすか」とその前途を大いに期待されたガヴアナーだったが[27]、わずか競走2週間後の5月15日、東京競馬場での調教中に木柵に衝突し[28]、左後脚の種子骨を骨折[15]。懸命な治療が施されるも次第に衰弱していったため、同月28日には安楽死(薬殺)の処置が執られ、3戦無敗のままこの世を去った[3][14]。遺体は東京競馬場内の競走馬墓地に葬られ、後に、馬頭観音境内の馬霊塔に改葬された[22]

ガヴアナーの死に際して、茅島の悲嘆は殊のほか深く、その様子を見かねた布施はヘルムートという馬を新たに担当させて励ました[27]。しかしその数日後、茅島は、雨の中運動させるため、ヘルムートに雨合羽を着せようとしたところ、驚いた同馬に腹部を蹴られてしまった[3][18]。この事故で茅島は腸破裂の重傷を負い、病院に運ばれるも間もなく死去した[27]。ガヴアナー、茅島と続いた死に、関係者は「ガヴアナーが呼び寄せたのだ」と嘆いたという[27]

馬体・評価

体高は1.58m[1]。黒鹿毛で額に大きな星があり、旋毛は珠目上下、右髪中、波分[1][18]。全兄のカブトヤマよりやや小柄であったが[29]、体形の評価は良く、関係者は「ダービー後の不幸が無ければ兄に劣らぬ成績を残せただろう」とその死を惜しんだ[3][18]

藤田太は、読売新聞に掲載されたコラムで、ダービー馬候補の一頭にガヴアナーを挙げて「対称極めて良く馬品を加えて千里の名馬を思わせるものある」と評している[注 3][29]。また、尾形によれば重馬場が得意であった[25]

競走成績

以下の内容は、『ダービー馬の履歴書』[30]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場) 頭数 人気 着順 タイム 着差 騎手 斤量 (2着馬)
1935 3. 30 中山 新呼 芝2000m(不) 3 1人 1着 02:14.3 4馬身 井川為男 55 (フソウ)
4. 14 中山 優勝 芝2200m(良) 6 1人 1着 02:23.4 4馬身 井川為男 55 (タマナギ)
4. 29 東京 東京優駿大競走 芝2400m(不) 11 2人 1着 R2.42.1 6馬身 井川為男 55 (アカイシダケ)
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

血統表

ガヴアナー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 キングファーガス系エクリプス系
[§ 2]

* シアンモア
Shian Mor
1924 黒鹿毛
父の父
Buchan
1916 鹿毛
Sunstar Sundridge
Doris
Hamoaze Torpoint
Maid of the Mist
父の母
Orlass
1914 黒鹿毛
Orby Orme
Rhoda B.
Simon Lass Simmontault
Kilkenny Lass

アストラル
1921 栗毛
* チヤペルブラムプトン
Chapel Brampton
1912 栗毛
Beppo Marco
Pitti
Mesquite Sainfoin
St.Silave
母の母
種義
1912 栗毛
* ダイヤモンドウエツデイング
Diamond Wedding
Diamond Jubilee
Wedlock
* ビユーチフルドリーマー
Beautiful Dreamer
Euthusiast
Reposo
母系(F-No.) (FN:F-No.12) [§ 3]
5代内の近親交配 Angelica (St.Simon) 5.5×5=9.38%、Sierra (Sainfoin) 5×4=9.38% 他 [§ 4]
出典
  1. ^ 『日本ダービー50年史』掲載の血統表[3]及びカブトヤマ(全兄)の血統表[31]より
  2. ^ Buchanをキングファーガス系とするもの[32]、エクリプス系とするもの[33]
  3. ^ カブトヤマの血統表[31]より
  4. ^ カブトヤマの血統表[31]より

脚注

注釈

  1. ^ 実際は、高橋、小池厚之助岩崎彦弥太(いずれも三菱・小岩井関係者)3名の共同所有馬であった[2][3]
  2. ^ 周旋謝礼100ポンド含む。フリツパンシーの値、輸送費用等は含まない[9]
  3. ^ 掲載日は1935年2月10日(ガヴアナーのデビュー前)である[29]

出典

  1. ^ a b c d 競馬成績書 昭和10年 春季』帝国競馬協会、1935年、85頁。doi:10.11501/1096560https://dl.ndl.go.jp/pid/1096560/1/1782023年12月9日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g 『優駿』2020年6月号、日本中央競馬会、35頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本ダービー50年史』日本中央競馬会、1983年、54-55頁。 
  4. ^ 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、138頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/1482023年12月10日閲覧 
  5. ^ カブトヤマ」『サラブレッド系種牡馬名簿 第1巻』日本競馬会、1941年、71-72頁。doi:10.11501/1067255https://dl.ndl.go.jp/pid/1067255/1/422023年12月9日閲覧 
  6. ^ 日本競馬史 第3巻』日本中央競馬会、1968年、163頁。doi:10.11501/2527148https://dl.ndl.go.jp/pid/2527148/1/952023年12月10日閲覧 
  7. ^ ロツキーモアー」『サラブレッド系種牡馬名簿 第1巻』日本競馬会、1941年、67-68頁。doi:10.11501/1067255https://dl.ndl.go.jp/pid/1067255/1/402023年12月9日閲覧 
  8. ^ 日本競馬史 第3巻』日本中央競馬会、1968年、150頁。doi:10.11501/2527148https://dl.ndl.go.jp/pid/2527148/1/892023年12月10日閲覧 
  9. ^ a b 麓三郎『小岩井農場七十年史』小岩井農牧、1968年、254頁。doi:10.11501/3442272https://dl.ndl.go.jp/pid/3442272/1/1542023年12月10日閲覧 
  10. ^ a b c d 麓三郎『小岩井農場七十年史』小岩井農牧、1968年、262-263頁。doi:10.11501/3442272https://dl.ndl.go.jp/pid/3442272/1/1582023年12月10日閲覧 
  11. ^ 日本競馬史 第3巻』日本中央競馬会、1968年、148頁。doi:10.11501/2527148https://dl.ndl.go.jp/pid/2527148/1/882023年12月10日閲覧 
  12. ^ a b c アストラル」『サラブレッド血統書 第1巻』日本競馬会、1941年、112-113頁。doi:10.11501/1067256https://dl.ndl.go.jp/pid/1067256/1/662023年12月9日閲覧 
  13. ^ 麓三郎『小岩井農場七十年史』小岩井農牧、1968年、232頁。doi:10.11501/3442272https://dl.ndl.go.jp/pid/3442272/1/1402023年12月10日閲覧 
  14. ^ a b c d 麓三郎『小岩井農場七十年史』小岩井農牧、1968年、275-276頁。doi:10.11501/3442272https://dl.ndl.go.jp/pid/3442272/1/1642023年12月10日閲覧 
  15. ^ a b c d e f 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、35頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/452023年12月10日閲覧 
  16. ^ a b c d e f 尾形藤吉『競馬ひとすじ : 私と馬の六十年史』徳間書店、1967年、159頁。doi:10.11501/2514623https://dl.ndl.go.jp/pid/2514623/1/832023年12月10日閲覧 
  17. ^ a b c 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、143-144頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/1532023年12月10日閲覧 
  18. ^ a b c d e f g h i 今井昭雄『ダービー馬の履歴書』保育資料社、1987年、34-36頁。 
  19. ^ 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、137-138頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/1472023年12月10日閲覧 
  20. ^ 競馬成績書 昭和10年 春季』帝国競馬協会、1935年、11頁。doi:10.11501/1096560https://dl.ndl.go.jp/pid/1096560/1/192023年12月10日閲覧 
  21. ^ 日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年、135頁。doi:10.11501/8799731https://dl.ndl.go.jp/pid/8799731/1/1452023年12月10日閲覧 
  22. ^ a b 『日本ダービー50年史』日本中央競馬会、1983年、206頁。 
  23. ^ 競馬成績書 昭和10年 春季』帝国競馬協会、1935年、23頁。doi:10.11501/1096560https://dl.ndl.go.jp/pid/1096560/1/252023年12月10日閲覧 
  24. ^ 増田生「競馬」『文芸春秋 5月号(第十三年第五号)』文芸春秋、1935年、256頁。 
  25. ^ a b 尾形藤吉『競馬ひとすじ : 私と馬の六十年史』徳間書店、1967年、158頁。doi:10.11501/2514623https://dl.ndl.go.jp/pid/2514623/1/832023年12月10日閲覧 
  26. ^ a b 生駒勝「競馬場風景」『行動 6月号』紀伊国屋出版部、1935年、240-241頁。doi:10.11501/1539199https://dl.ndl.go.jp/pid/1539199/1/1302023年12月10日閲覧 
  27. ^ a b c d 『忘れられない名馬100』学習研究社、1996年、37頁。 
  28. ^ 『競馬研究 558号』競馬研究社、1953年、28頁。 
  29. ^ a b c 藤田太「第四次ダービー概観②」『読売新聞 1935年2月10日朝刊』、5頁。 
  30. ^ 今井昭雄『ダービー馬の履歴書』保育資料社、1987年、252頁。 
  31. ^ a b c カブトヤマ 5代血統表”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年12月9日閲覧。
  32. ^ 尾形藤吉『競馬ひとすじ : 私と馬の六十年史』徳間書店、1967年、140頁。doi:10.11501/2514623https://dl.ndl.go.jp/pid/2514623/1/742023年12月10日閲覧 
  33. ^ シアンモア 5代血統表”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年12月9日閲覧。

参考文献

  • 『日本ダービー25年史』(日本中央競馬会)1959年
  • 尾形藤吉『競馬ひとすじ:私と馬の六十年史』(徳間書店)1967年
  • 麓三郎『小岩井農場七十年史』(小岩井農牧)1968年
  • 『日本ダービー50年史』(日本中央競馬会)1983年
  • 今井昭雄『ダービー馬の履歴書』(保育資料社)1987年 ISBN 978-4829302170
    • 『ダービー直後に殺された良血ガヴァナー』
  • 『忘れられない名馬100』(学習研究社)1996年  ISBN 978-4056013924
    • 岩川隆『競馬史を駆け抜けた馬たち』
  • 『優駿』2020年6月号(日本中央競馬会)
    • 江面弘也『競馬史に名を残す無敗のダービー馬たち』

ガヴァナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:07 UTC 版)

ガデュリン」の記事における「ガヴァナー」の解説

ガデュリン全土信じられている、神々主神

※この「ガヴァナー」の解説は、「ガデュリン」の解説の一部です。
「ガヴァナー」を含む「ガデュリン」の記事については、「ガデュリン」の概要を参照ください。

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