馬選び
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 03:25 UTC 版)
藤吉は馬を購買する際の要点として、まず血統を最重視したといい、馬体では「胸の張り、あばらの張りがよいのと、皮膚が薄いのをえらぶ。背中から腰うつりが良く、『名馬の尾だくさん』といわれるとおり、尾毛が多く、付け根の丈夫な馬がよい。膝下は骨太で、腱、球節(くるぶし)、繋(くるぶしと足の間)が丈夫なもの。蹄はあまり浅いのはよくない」と述べている。藤本冨良は藤吉の馬選びについて「見たところモサッとしたような、(中略)太めと細めの二つに分ければ、太めの馬を好んでいたようだ」としている。数々の大馬主に恵まれた藤吉であったが、安馬で好成績を挙げることを「馬を買うことで一番の妙味」とも述べており、初代ハクショウ、ヤマヤス、アスコット、トクマサ、クリフジ、タカハタ、スウヰイスーについては「大穴中の大穴を当てたような気分だった」としている。 また、藤吉の馬選びに絡む逸話として次のようなものがある。1934年に小岩井農場で競り市が開かれた際、藤吉とは別に参加していた馬主の高橋錬逸が、「馬がよく分からないから」と、藤吉の目利きを見越して彼が最も高額を提示した馬にさらに競り掛けて落とすよう、調教師の布施季三に言い含めて競りに臨んだ。藤吉が「第15シアンモア」に熱を入れているのを見た高橋は、高額に渋る布施を励ましながら競り続け、ついに同馬を競り落とした。この「第15シアンモア」はガヴァナーの競走名で、翌1935年の日本ダービーに優勝した。
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