馬遠、夏珪と南宋の山水画家
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「中国の絵画」の記事における「馬遠、夏珪と南宋の山水画家」の解説
馬遠(ばえん、生没年不明)は南宋画院の山水画家。籍は山西にあったが、銭塘(杭州)に住んだ。字は遥父、号は欽山。光宗・寧宗の時、画院待詔の地位にあった。馬遠の家系には画家が多く、曾祖父、祖父、父、兄、子、伯父も画家であった。斧劈皴(ふへきしゅん)を多用した山水を描いた。後述の夏珪と共に「馬夏」と並称された。画面を対角線で区切った半分のスペースに主たるモチーフを集中させ、残りの画面を余白として、観者の想像にゆだねる構図(辺角構図)は「残山剰水」「馬の一角」と称された。ただし、これらの評語は必ずしも褒め言葉ではなく、大自然のごく一部しか描かれていないことを評するものともいう。馬遠の作品は、余白の多いものばかりでなく、『西園雅集図巻』(ネルソン・アトキンス美術館)のように細部まで描き込まれたものもある。その他の代表作に『十二水図』(台北故宮博物院)、『華燈侍宴図』(台北故宮博物院)など。 夏珪(かけい、生没年不明)は、南宋画院の山水画家。銭塘(杭州)の人。字は禹玉。寧宗期(1194 - 1224年)の画院で待詔の地位にあった。水墨山水をもっぱら描いた。代表作に『渓山清遠図』(台北故宮博物院)、『江山佳勝図』、『長江万里図』(模本)などがある。 李唐(りとう、1050年頃 - 1130年頃)北宋末から南宋の画院画家。河陽三城(河南孟県)の人。徽宗の時に画院待詔の地位にあった。焦墨を用いた山水画に特色がある。代表作に『万壑松風図』(ばんがくしょうふうず)、『江山小景図』(ともに台北故宮博物院)などがある。 馬麟(ばりん、生没年不明)馬遠の子。寧宗の嘉泰年間(1201 - 1204年)に画院祗候の地位にあった。山水のほか、父と同様の辺角構図の花鳥画をよくした。
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