馬遠、夏珪と南宋の山水画家とは? わかりやすく解説

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馬遠、夏珪と南宋の山水画家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)

中国の絵画」の記事における「馬遠、夏珪と南宋の山水画家」の解説

馬遠(ばえん、生没年不明)は南宋画院山水画家。籍は山西にあったが、銭塘杭州)に住んだ。字は遥父、号は欽山。光宗寧宗の時、画院待詔地位にあった馬遠家系には画家多く曾祖父祖父、父、兄、子、伯父画家であった斧劈皴ふへきしゅん)を多用した山水描いた後述夏珪と共に「馬夏」と並称された。画面対角線区切った半分スペース主たるモチーフ集中させ、残り画面余白として、観者想像ゆだねる構図(辺角構図)は「残山剰水」「馬の一角」と称された。ただし、これらの評語は必ずしも褒め言葉ではなく大自然ごく一部しか描かれていないことを評するものともいう。馬遠作品は、余白の多いものばかりでなく、『西園雅集図巻』(ネルソン・アトキンス美術館)のように細部まで描き込まれたものもある。その他の代表作に『十二図』(台北故宮博物院)、『燈侍宴図』(台北故宮博物院)など。 夏珪(かけい、生没年不明)は、南宋画院山水画家。銭塘杭州)の人。字は禹玉。寧宗期(1194 - 1224年)の画院待詔地位にあった水墨山水もっぱら描いた代表作に『渓山清遠図』(台北故宮博物院)、『江山佳勝図』、『長江万里図』(模本)などがある。 李唐(りとう、1050年頃 - 1130年頃)北宋末から南宋画院画家河陽三城河南孟県)の人。徽宗時に画院待詔地位にあった焦墨用いた山水画特色がある。代表作に『松風図』(ばんがくしょうふうず)、『江山小景図』(ともに台北故宮博物院)などがある。 馬麟(ばりん、生没年不明馬遠の子寧宗嘉泰年間(1201 - 1204年)に画院祗候地位にあった山水のほか、父と同様の辺角構図花鳥画よくした

※この「馬遠、夏珪と南宋の山水画家」の解説は、「中国の絵画」の解説の一部です。
「馬遠、夏珪と南宋の山水画家」を含む「中国の絵画」の記事については、「中国の絵画」の概要を参照ください。

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