馬追山
馬追山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 02:45 UTC 版)
馬追山(まおいやま)は、標高275mの山で、北海道空知管内夕張郡の長沼町と由仁町に位置し、馬追丘陵の一角を構成している。瀞台の通称がある。また、長沼ナイキ基地訴訟の舞台となった場所としても知られる。 1873年、マーレー・S・デイというお雇い外国人が苫小牧の勇払を基点に三角測量に着手した。丁度、この時5つの地点に標が立てられ、そのなかの第4標目に選ばれたのがこの馬追山だった。馬追丘陵のなかで最高峰となる馬追山からは、当時、札幌にあった開拓使庁庁舎の屋上に設置されていた八角座を望むことができ、精確な三角測量の基準になったという。こうして太平洋側から日本海側までを、三角線を接続することに成功したデイは、1874年に初の近代測量による「北海道実測図」を発行したものの、測量自体がその翌年に中断されている。
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