種牡馬入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:01 UTC 版)
三冠達成直後、コモンには各所から種牡馬入りのオファーが入った。最初に申し込んだのはオーストリア政府で、14,000ギニーでの購入を打診していたが、アリントン男爵らはこの申し出は断っている。それから2日後にジョン・ブランデル・メープル(英語版)準男爵に15,000ギニーで購入希望があると、アリントン男爵らはこれに応じてコモンを売却した。オーストリア政府は諦めきれず、ブランデル準男爵に20,000ギニーでの転売を持ちかけたが、これは断られている。ブランデル準男爵は自身の持つチルドウィックブリー牧場にコモンを繋養し、種付け料を200ギニーに設定していた。 種牡馬としてのコモンは期待に沿うほど結果は残さなかったが、クラシック勝ち馬として1000ギニー勝ち馬のナンナイサー(英語版)(Nun Nicer 1895年生、牝馬)を出している。牝馬の活躍馬が多く、他にもヨークシャーオークス勝ち馬フェアマイル(Fairmile 1895年生、牝馬)、アスコットコロネーションステークス勝ち馬のコムーネ(Commune 1902年生、牝馬)などがいた。牡馬の活躍馬では、カップディスタンス(長距離戦)で多数の競走に優勝したオースベック(Osbech 1895年生、牡馬)などがいる。 ブランデル準男爵が1904年に亡くなると、コモンは売却され、また種付け料も19ギニーにまで下げられている。のちの1912年12月17日、ボイス・ブロウ夫人の持つチェルムスフォード牧場にてコモンは死亡した。
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