種牡馬になるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 22:28 UTC 版)
引退後は牧場に戻り、そこで種牡馬となるはずであった。しかし、スターシュートが呼吸疾患を持っていることはイギリス中の生産者たちにもすでに広く知られており、かつてのオーモンド同様にその症状が産駒に遺伝することが危惧され、イギリスでの種牡馬としてのは非常に困難であった。またスターシュートは脚の弱さが指摘されており、これもまた敬遠される要因となった。こちらの特徴は呼吸器疾患と違って、実際に産駒に遺伝している。 さらにこの当時、オーストラリアの血統研究家ブルース・ロウが研究発表したファミリーナンバーの概念が生産界にも伝えられていた。それによれば、スターシュートの属する9号族(後に9-f分枝に分類される)は名種牡馬の出ない牝系であり、つまりスターシュートが種牡馬として成功しないことが予測されていた。 このような要因からイギリスでの種牡馬入りは困難なものとなり、結果としてスターシュートはアメリカ合衆国へと輸出されることになった。1901年、ジョン・ハニングという人物の手によって一度買い取られて輸出の段取りが組まれ、ケンタッキー州パリのラニーメードファームへと送られた。
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