種牡馬となる
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1997年に生まれ故郷である新冠町のCBスタッド(早田牧場の傘下)で種牡馬となり、内国産馬として史上最高額となる20億7,000万円のシンジケート(1株3,450万円×60株)が組まれた。1997年には81頭、1998年には106頭の繁殖牝馬と交配された。交配相手にはアラホウトクやファイトガリバーといった牝馬クラシックホース、アグサン(ビワハイジの母)やモミジダンサー(マーベラスサンデーの母)など繁殖実績の高い輸入馬、スカーレットブーケといった国内外の良血繁殖牝馬が集められた。
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種牡馬となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:10 UTC 版)
引退後は北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬となった。1991年1月28日に繋養先の優駿スタリオンステーションに到着。優駿スタリオンステーション到着時には300人以上が出席して歓迎セレモニーが行われて新冠町長が挨拶を行い、同夜にはテレビ番組「ニュースステーション」に生出演した。 種牡馬となったのちのオグリキャップは2代目の馬主であった佐橋が所有し、種付権利株を持つ者にリースする形態がとられた。これは実質的にはシンジケートに等しく、その規模は総額18億円(1株3000万円(1年あたり600万円×5年)×60株)であった。当初は余勢をほぼ取らない方針だったものの、シンジケートに加入できなかった生産者・馬主がわずかに放出された株に殺到し、種付けシーズン直前の2月13日に行われたJSカンパニー主催のノミネーションセールでは、取引株の中で最高価格となる990万円の値が付いた。 3月12日にヤマタケダンサーを相手に初種付けを行い、翌日のスポーツ紙2紙の1面にはこの時の種付けを行っている写真がカラーで掲載された。ゴールデンウィーク(5月5日)にはオグリキャップを見学するために、当時の新冠町の人口に匹敵する6000人が優駿スタリオンステーションを訪れた。オグリキャップの人気は種牡馬となった後も衰えず、優駿スタリオンステーション事務所には好物のニンジン、リンゴ、ハチミツが毎日届けられ、夏休みには見学のための観光バスが行列を作った。プレハブ建てのグッズショップも作られたが、すぐに手狭になったため豪華な店舗がオープンした。ライターの後藤正俊によると、それまでの日高は名所が少なく本州の観光客がほとんど訪れなかったが、オグリキャップが種牡馬入りしたことで地域経済に多大な影響をもたらしたといい、同時にオグリキャップが種牡馬入りしたことをきっかけに競馬ファンが競走馬の「生涯」に興味を抱くようになり、競走馬育成ゲーム、POGを通じて競馬人気の沸騰につながったと述べている。 1994年に産駒がデビューし、JRA新種牡馬リーディングにおいては首位となったサンデーサイレンスに大きく水をあけられたものの、内国産種牡馬としては最上位となる6位にランクインし、アーニングインデックスは1.75を記録した。しかし、後述の喉嚢炎を発症したことがきっかけで年を経るごとに交配牝馬のレベルが徐々に低下し、シンジケートが再結成された1996年からは交配当数も減少し、1998年にはわずか10頭にまで落ち込んだ。
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