ナリタブライアン
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ナリタブライアン(欧字名:Narita Brian、1991年5月3日 - 1998年9月27日)は、日本の競走馬、種牡馬。
ナリタブライアンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ロベルト系 | [§ 2] | ||
父 *ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 | 父の父 Roberto1969 鹿毛 | Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Kelley's Day1977 鹿毛 | Graustark | Ribot | ||
Flower Bowl | ||||
Golden Trail | Hasty Road | |||
Sunny Vale | ||||
母 *パシフィカス Pacificus 1981 鹿毛 | Northern Dancer 1961 鹿毛 | Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
母の母 Pacific Princess1973 鹿毛 | Damascus | Sword Dancer | ||
Kerala | ||||
Fiji | Acropolis | |||
Riffi | ||||
母系(F-No.) | 13号族(FN:13-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | なし | [§ 4] | ||
出典 |
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注釈
- ^ 額および鼻梁、鼻部に白斑(白い斑点)、額に刺毛(白斑に至らない毛の集まり)があることを意味する。なお頭部以外に白斑はない。
- ^ 頭部に「珠目上」と称される旋毛(つむじ)があることを意味する(より具体的には目から上の位置につむじがあるということ)。
- ^ a b JRA賞の部門名はいずれも当時の名称。
- ^ なお、デビュー前の1992年3月から10月にかけては資生園早田牧場えりも分場において昼夜放牧によって鍛錬された[9]。
- ^ 片山良三は、南井は「いいえ。勝ちたい気持ちばかりで現実はうまくいきません」と答えたところ、大久保が「じゃあ、願いが叶う(ダービー制覇)かもしれない馬に乗ってもらおうかな」と言って南井をナリタブライアンに対面させたとしている[16]。
- ^ 前者は当時の福島競馬場芝1,700メートルにおける3歳馬レコードに0.1秒差、後者は京都競馬場芝1,800メートルにおける従来の3歳馬のレコードを1.1秒更新した。
- ^ 3歳時にデビューからの4か月間に7回レースに出走したことのほか、4歳時にスプリングステークスに出走したことおよび6歳時に高松宮杯に出走したことにもそうした意図が関係していた。
- ^ 共同通信杯4歳ステークスは本来京都記念と同じ日に行われる予定であったが、積雪によって施行日が1日順延したため、兄弟による同日重賞制覇とはならなかった。
- ^ なお、この時調教師の大久保は盲腸を患い投薬治療を受けていた影響(表向きは風邪をひいたためとされた)から自宅で静養中で、ナリタブライアンの表彰式には出席できなかった[29]。ちなみに大久保は前年の朝日杯3歳ステークスの時も香港・沙田競馬場へ遠征した管理馬のナリタチカラに同行していたため表彰式に出席していない[30]。
- ^ 当初は松永幹夫に決定していたが、その時点で賞金順で除外対象だったマイシンザンが出走できなければ、という条件が付けられていた。マイシンザンはナイスネイチャなどの回避で出走が可能となったため松永の騎乗は不可能となった。なお、その後マイシンザンは屈腱炎を発症し出走取消となった[65]。
- ^ 陣営は武に対して天皇賞(秋)の一週間前に同レース以降の騎乗を依頼していたが[51]、この時点で武はアイリッシュダンスの騎乗の先約を受けていたため、天皇賞当日は同馬に騎乗した[66]。武自身は騎乗依頼を受けた当時の心境について、「初めてオグリキャップの騎乗依頼を受けたときに似たような感じ」だったといい、「それまで『どうやったら勝てるのか』と悩まされていた馬に乗る時の気分って、う~ん、ちょっと言葉にはできないなあ。なんたって、ナリタブライアンですよ」と語っている[67][68]。
- ^ 大川慶次郎は、ナリタブライアンの体調が万全ではなかったため、本来後続の馬を何馬身も引き離すところを他の馬と並んでゴールしただけであり、「少しも名勝負ではない」と述べている[79]。瀬戸慎一郎も同様の見解を述べている[80]。
- ^ 田原成貴は、両馬共に有馬記念以来の実戦で、マヤノトップガンが8分の出来、ナリタブライアンが7分の出来であり[78]、本番の天皇賞(春)に向けて結果にこだわる必要がなかったマヤノトップガン陣営と復活勝利を期するナリタブライアン陣営との間にあった、レースに賭ける思いの違いを理由として挙げている[81]。そのため、このレースについて田原は「なかなか見ごたえのあるGII戦」であるとみていると述べている[82]。
- ^ 騎乗した武豊は、「名勝負というのは大げさかもしれないけど、滅多にできないいいレースだったと思う」と述べている[83]。武曰く、当日のナリタブライアンの体調について、「確かに具合はいいけど半信半疑、という感じだった」とし、4コーナーを回った時にはもっと楽に勝てると思ったといい、ゴール前の叩き合いで一瞬マヤノトップガンが前に出たが、その時には「去年と違ってタレる(失速する)ことはないな、最後まで持つだろうな」と思ったという[83]。
- ^ 南井克己は阪神大賞典でのナリタブライアンのレースぶりについて、「あんなギリギリの勝負をする馬なのかな、って。もちろんトップガンも強い馬だけど、本来ならもっと強い競馬で勝てるはずじゃないか、というのはあったね…」と述べている[76]。
- ^ ナリタブライアンは競走馬時代にも疝痛を発症したことがあった[91]。
- ^ 一般にサラブレッドの蹄は前脚のものよりも後脚のもののほうが小さい[105]。
- ^ なお、東京優駿直前の調教においてシャドーロールを外して走行させた際の内容は芳しくなかった[112]。
- ^ 一例として、スポニチアネックスの報道[138][139]。
- ^ 現在の単勝最低配当はディープインパクトの110円[144][145]。
- ^ 古馬も含めると、ナリタブライアン以上のポイントが与えられているのはエルコンドルパサー、タップダンスシチー (133)、シンボリクリスエス、シンボリルドルフ (132)、カツラギエース、クロフネ (130)、スペシャルウィーク、タイキシャトル、ディープインパクト (129)である。いずれも国際競走で実績を残した競走馬であり、全日本フリーハンデでは、仮にナリタブライアンが4歳時にジャパンカップに出走して海外の馬と同じレースに出ていれば、さらに高いハンデが与えられたであろうことが示唆されている。
- ^ 皐月賞直前期、大久保はJRAを通じ、マスコミに対して厩舎内での取材を控えるよう通達を出した。これは厩舎内に無断で立ち入って写真を撮る者がいたためにとられた措置であったが、当時は何ら事情説明がなされなかったため、マスコミは高圧的だと強く反発した。同様の通達は同年の菊花賞、有馬記念の前にも出された[147]。
- ^ 日本調教師会は史誌『日本調教師会50年史』の中でこの問題を取り上げ、「ナリタブライアンは厩舎の取材に来たカメラマンにストレスを募らせていた」とし、さらに当時競馬ブーム下で競馬雑誌が濫造されたことで、少なからず発生したにわか記者、にわかカメラマンが厩舎のしきたりを弁えずトラブルを招くことがあったとして、「調教師や厩舎スタッフの煩わしさを顧みない者には取材拒否、取材制限で応じるしかなかった」と記している[148]。
- ^ ナリタブライアンはそのうち5敗が4着以下に敗れたレースであり(オルフェーヴルは2度)[150]、これは2020年にクラシック三冠を達成したコントレイルを含めたクラシック三冠馬8頭の中でも最多である。
- ^ なお、大久保は過去に天皇賞(春)を制したエリモジョージを宝塚記念を挟んで1200メートルの短距離戦に出走させ、メジロパーマーを1992年の天皇賞(春)の前に1400メートルのコーラルステークスに出走させたことがあった[157]。
- ^ レース後に大久保は「盛り上がったでしょう」とコメントしている[161]。
出典
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