知能・精神面に関する特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:34 UTC 版)
「ナリタブライアン」の記事における「知能・精神面に関する特徴・評価」の解説
前述のように、ナリタブライアンは興奮しやすく、かつ臆病な気性の持ち主であった。陣営は前者についてはローテーションの間隔を詰めて多くのレースに出走させ、同馬のエネルギーを発散させることによって、後者についてはシャドーロールを装着して下方の視界を遮ることによって(疾走中に自分の影を怖がることがないよう)解決を図った。なお大川慶次郎によると、ナリタブライアンは競走馬生活の途中で精神的に成長し、シャドーロールを装着しなくとも走りに集中できるようになったが、そのときにはシャドーロールがナリタブライアンのトレードマークになっていたという。主戦騎手の南井も、1995年初めに受けたインタビューで「シャドーロールをとっても問題ないと思う」「(シャドーロールは)今ではマスコットがわりのようなもの」と述べている。ナリタブライアンは4歳の春から、調教の際にはシャドーロールを外していた。大久保は皐月賞後に、レースでシャドーロールをつけ続けたのは「縁かつぎ」と「識別しやすい」ためと答えている。シャドーロールはナリタブライアンの代名詞的存在となり、「シャドーロールの怪物」と称された。 南井によるとデビューした頃のナリタブライアンは、若さからかレースの途中で体のバランスが取れなくなって崩れる傾向があったというが、レース経験を経ていくごとにその若さがなくなっていき、馬込みの中でも他馬を気にしなくなっていったという。また、南井はオグリキャップとナリタブライアンを比較した際、オグリキャップはレース間隔をあけて使うと優れた瞬発力を発揮し、数多くレースに使うと4コーナーで力を失うことがあったが、ナリタブライアンはそのようなことがなく、「行けといった時には来るんです」と述べている。 ナリタブライアンは学習能力が高く、一度理解した物事に関しては怖がる素振りを見せなかった。種牡馬時代に繋養されていたCBスタッド場長の佐々木功は、自分たちが教えることがほとんど無かったといい、一度教えたことはちゃんと理解しており、頭が良すぎてこちらが下手なことを考えていると近づけない怖さがナリタブライアンにはあったという。また「仕事(種付け)が終わった後にはさっと帰るスマートさ」を持ち合わせていたといい、「扱う方としてはものすごく楽な馬だったよ」と振り返っている。
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知能・精神面に関する特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:35 UTC 版)
「ハイセイコー」の記事における「知能・精神面に関する特徴・評価」の解説
獣医師の伊藤信雄は、ハイセイコーの精神面の長所として気の荒さを挙げており、大井競馬場時代の厩務員山本武夫は、ハイセイコーの性格について「気の荒すぎるところがあり、いったん、いうことをきかなくなったら、テコでも動かなくなる」と評している。ただし荒い反面、気の弱いところもあった。調教師の鈴木勝太郎は、気性の激しいハイセイコーに対応した調教方法を考案した。まず15-15と呼ばれる軽めの調教を1週間ないし10日に一度行い、ハイセイコーには、他の馬と並んで走ると負けまいとして走り過ぎる傾向があったため、他の馬がいないタイミングを見計らって調教を行うなどの工夫をした。 ハイセイコーは初めて訪れる場所を警戒するところがあり、増沢によれば元々警戒心や注意力の強いサラブレッドの中でも、ハイセイコーは一際そうした傾向が強かったという。鈴木勝太郎はマスコミの取材やファンの来訪を拒まなかったが、神経質なハイセイコーへの配慮から、カメラ撮影に関してのみ厩舎内では行わず決められた場所で行うように要望を出した。厩務員の大場によると、ハイセイコーは「イライラを抑え、ファンサービスに努め」ていたが、5歳になってからはほとんど動じなくなったという。しかし大場は、ハイセイコーの気性を鑑みたうえでハイセイコーブームを「嬉しいような、ちょっとかわいそうなような騒がれ方だった」と振り返っている。 明和牧場元取締役の浅川明彦は競走馬引退後のハイセイコーについて、怖いくらいの威厳を放ち、担当厩務員以外の者の言うことは聞かず、他の馬と喧嘩をすることもしばしばであったと振り返っている。浅川によると明和牧場でのハイセイコーは体調がいいと人に触られるのを嫌がる反面、体調が悪いと注射にも素直に応じるところを見せたという。浅川はハイセイコーについて、神経質さが良い方向に出て、警戒心と注意力に優れた頭のいい馬であったと評している。 ハイセイコーは引退式でコースを1周した後、速度を落としつつ第1コーナーを過ぎたところで突如立ち止まって首を振り、騎乗していた増沢を振り落した。増沢によると、それまで第1コーナーと第2コーナーの中間地点をゆるやかに通った後はそのまま地下道を通ってコースから出る習慣があったため、引退式でもハイセイコーはコースから出ようとして方向転換を計り、そのことが落馬につながった。増沢はこの逸話を自著で紹介し、ハイセイコーを「じつに利口な馬」と評している。競走馬時代、普段の調教では調教助手の吉田が騎乗したが、増沢が騎乗するとハイセイコーは興奮する仕草を見せた。これについて鈴木勝太郎は、増沢がレースで騎乗することをハイセイコーが理解しているためだと説明した。 弥生賞当日、発走前に蹄鉄をレース用のものに打ち替えようとしたところ、ハイセイコーは落ち着きをなくし、興奮する様子を見せた。そのため、以降のレースでは当日の早朝に打ち替えが行われるようになった。
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知能・精神面に関する特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:10 UTC 版)
「オグリキャップ」の記事における「知能・精神面に関する特徴・評価」の解説
ダンシングキャップ産駒の多くは気性が荒いことで知られていたが、オグリキャップは現3歳時に調教のために騎乗した河内洋と岡部幸雄が共に古馬のように落ち着いていると評するなど、落ち着いた性格の持ち主であった。オグリキャップの落ち着きは競馬場でも発揮され、パドックで観客の歓声を浴びても動じることがなく、ゲートでは落ち着き過ぎてスタートが遅れることがあるほどであった。岡部幸雄は1988年の有馬記念のレース後に「素晴らしい精神力だね。この馬は耳を立てて走るんだ。レースを楽しんでいるのかもしれない」と語り、1990年の有馬記念でスローペースの中で忍耐強く折り合いを保ち続けて勝利したことについて、「類稀なる精神力が生んだ勝利だ」と評したが、オグリキャップと対戦した競走馬の関係者からもオグリキャップの精神面を評価する声が多く挙がっている。オグリキャップに携わった者からは学習能力の高さなど、賢さ・利口さを指摘する声も多い。
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知能・精神面に関する特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:15 UTC 版)
「テンポイント」の記事における「知能・精神面に関する特徴・評価」の解説
吉田牧場の関係者と調教師の小川、厩務員の山田は、テンポイントの利口さを指摘している。気性面では普段は大人しい気性をしており、パドックでも落ち着いていたが、レースになると強い闘争心を発揮した。鹿戸によると高田、小川、山田が青草を持って行ったときは本当に大人しかったというものの、自分が行くと「ガーッと噛んできよった」といい、調教においても自分がスタンドから降りてくる姿を見ると「サーッと向こうへ逃げちゃったもんね」と述べている。また日経新春杯で骨折しながらも4コーナーを過ぎて直線にかかるまで止まらなかったことについて、テンポイントは後ろからくる馬に抜かれると走らずにいられなかったという激しい闘争心を持っていたからだと述べている。ターザン山本によると、テンポイントの気性について新聞に「暴君のような激しい馬だった」と書かれてあったことがあるという。 鹿戸によると、テンポイントはレース終盤に苦しくなるとよれてまっすぐに走れなくなる癖があった。これはテンポイントが脚に慢性的な骨膜炎を抱えていたことが原因だった。
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