屈腱炎発症・引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:34 UTC 版)
「ナリタブライアン」の記事における「屈腱炎発症・引退」の解説
高松宮杯から約1か月後の6月19日、ナリタブライアンは右前脚に屈腱炎を発症したと診断された。ナリタブライアンは同月28日に函館競馬場、8月には早田牧場新冠支場へ移送され、治療が行われた。大久保はナリタブライアンの復帰に強い意欲を見せていたが、9月に日刊スポーツがナリタブライアンの引退が決定したと報道。さらに読売新聞の取材に対して山路が引退を認めた。橋本全弘によると、この時期に大久保を除く関係者の間で引退に向けた話し合いが行われており、種牡馬となった際のシンジケート株の予約が開始されるなど引退へ向けた動きが起こっていたという。10月7日に大久保と山路、工藤の3者による話し合いが行われ、正式に引退が決定し、10日には栗東トレーニングセンターで正式な引退会見が行われた。なお、大久保は引退が決まったあともナリタブライアンを走らせることへの未練を口にしている。 11月9日には京都競馬場で、11月16日には東京競馬場で引退式が行われ、京都競馬場では菊花賞優勝時のゼッケン「4」を着け、東京競馬場では日本ダービー優勝時のゼッケン「17」を着けて引退式が行われた。関東と関西2か所で引退式が行われた競走馬はシンザン、スーパークリーク、オグリキャップに続きJRA史上4頭目であった。1997年には史上24頭目の顕彰馬に選出された。
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屈腱炎発症、引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 07:29 UTC 版)
ダービーのあとは3か月の休養を取り、秋に復帰したが、緒戦を3着、菊花賞トライアルの京都新聞杯では9着に敗れる。その後は菊花賞を目標に調整されていたが、競走前に屈腱炎を発症し、長期休養に入った。その後は復帰の噂が流れるも、そのころにはダービー後から聞かれていた馬主の名義貸し疑惑などが、マスコミ記者などの間で頻繁に噂されるようになっており、復帰という話も延び延びになってゆく。最終的には2年間の休養後、脚元の回復が思わしくなく引退。北海道の新冠町で種牡馬入りが決定した。
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