屈腱炎からの復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/17 04:19 UTC 版)
「ボルジア (競走馬)」の記事における「屈腱炎からの復帰」の解説
ドバイワールドカップでの屈腱炎発症後、ボルジアをフランスのアンドレ・ファーブル厩舎に移籍して現役を続行することが発表された。ボルジアは1998年10月に牝馬限定戦のG3競走であるフロール賞で競走に復帰したが、復帰初戦は1番人気を裏切る2着と敗れた。 1999年、5歳となってからもG3競走のエクスビュリ賞とジョッキークラブステークスで1番人気を裏切る敗戦を重ね、G1競走のコロネーションカップとサンクルー大賞ではともに5着と惨敗した。9月にはG2競走のフォワ賞でエルコンドルパサーをクビ差に追いつめ苦しめるも、続く凱旋門賞では7着、ジャパンカップでも8着と惨敗した。引退レースとなったG2競走の香港ヴァーズで1着になり、実に13戦振りの勝利で引退レースを飾った。
※この「屈腱炎からの復帰」の解説は、「ボルジア (競走馬)」の解説の一部です。
「屈腱炎からの復帰」を含む「ボルジア (競走馬)」の記事については、「ボルジア (競走馬)」の概要を参照ください。
- 屈腱炎からの復帰のページへのリンク