種牡馬の輸出入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:23 UTC 版)
20世紀後半まで日本はもっぱら欧米から種牡馬を輸入する一方であった。また輸入した種牡馬の成績が悪かった場合に再輸出されることなく日本で死亡もしくは廃用による屠殺処分とされることが多かったため、種牡馬の墓場と内省的に揶揄されていた。理由としては、国の外貨貯蓄の政策の為に海外に渡航できる人間が限られていたため、20世紀後半まで輸入された種牡馬の多くが、専門のブリーダーが見立てて連れて来た種牡馬ではなく商社マンによる輸入代行によるものであったことが挙げられる。当然の事ながら、素人が海千山千の海外の馬主の宣伝を鵜呑みにして連れて来た馬である為、馬産地での評価も低く、ブリーダーにしても他にいないから仕方なく使っているというのが実情であった。また日本の土壌として、競走馬生産をブラッドスポーツとしてではなく、専ら畜産の延長線と考える傾向が一般的であり、競走馬育成の基本である「より良い血統を見極めて、新しい血統を創設する」という概念が一部のブリーダー(北野豊吉、吉田善哉、和田共弘ら)を除き欠如していた事も原因である。そのため、新しい輸入種牡馬を試しては廃用するという時代が続いていた。よって国内生産の馬で種牡馬として活躍できた馬はあまりなかった。 しかし20世紀末以降、社台グループの躍進と、世界的なノーザンダンサー系種牡馬のダブつき、競馬開催国の増加が追い風となって、日本調教馬もしくは生産馬が種牡馬が輸出・再輸出されるケースや、シャトル種牡馬として一定期間リースされるケースが増加傾向にある。特に多いのは韓国への輸出、およびオセアニアへのリースである。一方輸入に関してはバブル景気が終焉して以降は減少傾向にある。これはバブル期の一部馬主が行った金に物を言わせた一流馬の買付けが、アメリカやヨーロッパで顰蹙を買ったり、出走資格の変遷により無理をして種牡馬を輸入しなくても良い状況になったこと、また日本の競馬への適性も考えられるようになってきているためでもある。 なお、欧米で活躍した競走馬並びに種牡馬でも日本では結果が残せるとは限らず、実際欧州でリーディングサイヤーを獲得したサドラーズウェルズの産駒が日本ではほとんど活躍しないなどの例がある。 ファーディナンドが日本で屠殺されて以降、アメリカ合衆国から日本へ輸入された種牡馬が供用中止となった後、アメリカの功労馬繋養施設オールドフレンズへ引き取られるケースが増加している。
※この「種牡馬の輸出入」の解説は、「日本の競馬」の解説の一部です。
「種牡馬の輸出入」を含む「日本の競馬」の記事については、「日本の競馬」の概要を参照ください。
- 種牡馬の輸出入のページへのリンク