1961年10月ダイヤ改正
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「国鉄キハ80系気動車」の記事における「1961年10月ダイヤ改正」の解説
この改正では、日本全国に9往復しかなかった国鉄特急列車を一気に26往復まで増発させることになり改良形のキハ82系を増備。函館運転所へ15両、尾久客車区へ34両、向日町運転区へ78両が配置されたが、ダイヤ設定されたものの「ひばり」は充当用7両が1962年4月7日落成となり同月27日から運転開始。「みどり」は就役した本系列の信頼性が未知数であり、万一トラブルが起きた場合でも代替用の予備車両を即座に用意できる態勢を作り故障率の低さを確認した上で同年12月からの運転となったが、それでも完璧にトラブルを排除するまでには至らなかった。 当時開設されたばかりで本系列による特急列車運行を多数担当した向日町運転区では、初代区長に就任した山之内秀一郎がトラブル対策での部品不足を補うため運転開始前の「みどり」用予備車を補修部品取りに利用したことを著書で明らかにしたほか、ダイヤ改正初日の下り「まつかぜ」では最後尾6号車のキハ82 40が車軸発熱トラブルのため福知山で緊急解結となり40分遅れで発車。5号車キハ80とキシ80のサービス電源が不足したため食堂営業を止め5号車の乗客を収容した上で15分遅延して松江に到着。折り返しの上り列車では1号車に組成されていたキハ82 27を転車台で方向転換させた上で京都方先頭に、最後尾に米子機関区(→米子運転所→現・後藤総合車両所運用検修センター)所属のキハ28 7を連結して運転。豊岡で応急修理が完了したキハ82 40と車両交換を行った。 奥羽本線福島 - 米沢間に介在する急勾配区間の板谷峠を通過する「つばさ」では、故障・トラブル回避という観点から低速での自力登坂走行は可能であったものの液体変速機作動油(トルクコンバータフルード)のオーバーヒートを防止する安全策として補助機関車を連結した。補機運用は、福島機関区(現・福島総合運輸区)が担当。当初はEF16形、1965年10月からはEF64形、交流電化へ転換後の1968年9月22日以降はEF71形が充当され、1964年10月1日ダイヤ改正で新設された上野 - 山形間の「やまばと」も本措置が採られた。 本改正で新設された本系列による特急列車は、定員を1等48人・2等248人・食堂定員32人としたキハ82形2両・キハ80形2両・キロ80形1両・キシ80形1両で構成される6両編成とし、2方面発着を行う「白鳥」「かもめ」は2編成併結で運転された。 「おおぞら」 函館 - 旭川間 1往復 函館・室蘭・千歳線経由 同区間で運転されていた急行「大雪」の格上げにより北海道初の特急列車として設定。青函連絡船夜行便を介し、「はつかり」「白鳥」と接続。函館 - 札幌間は、従来最速の気動車急行より30分短縮され4時間30分、上野 - 札幌間も21時間台となり、大幅なスピードアップを実現した。 函館0455(1D おおぞら)1125旭川1730(2D おおぞら)2400函館 翌1962年10月1日ダイヤ改正で食堂車を含む基本編成6両を函館本線滝川で分割し、根室本線経由で釧路まで区間延長。付属編成は旭川発着となった。これ以後の詳細は#函館運転所(函ハコ)の項目を参照。 「白鳥」 大阪 - 青森・上野 各1往復 大阪 - 直江津間併結 東海道・北陸・信越・羽越・奥羽本線/信越・高崎・東北本線 国鉄内部では青森編成=「青森白鳥」・上野編成=「信越白鳥」と呼称し、同一愛称ながら別列車という見解を示した。また両編成とも冬期は豪雪地帯を通過するために遅延が発生しやすく、大阪行ではいずれかの編成に大幅な遅延が発生した場合は直江津での併結は行わずにそれぞれ単独運転を行うマニュアルが運転開始時から設定された。 向日町運転区所属車が充当された青森編成は、関西地区 - 青森の同日着を初めて可能にした列車で全区間1052.9 kmは当時の最長距離昼行列車でもある。 当初は尾久客車区所属車、1963年4月20日以降は向日町所属車が充当された上野編成は、北陸本線では関西 - 北陸間旅客用の増結車、東京からは北陸への最速列車という2つの役割を持っていた。また信越本線横川 - 軽井沢間は碓氷峠の急勾配区間のため自力での単独通過は不可能であり、この区間ではアプト式時代はED42形を、1963年の粘着運転化後はEF63形を補機として連結した上で本系列も横軽対策施工車限定での運転となり、所要時間を15分短縮。 1962年6月10日には北陸トンネルが開通。運転距離を7.1 ㎞、所要時間を青森・上野行きで10分、大阪行きで5分短縮。 1965年10月1日ダイヤ改正で上野編成は金沢を境に「雷鳥」と「はくたか」に系統分割ならびに青森編成の新潟立ち寄りを開始。1972年10月2日ダイヤ改正で羽越本線電化完成により485系電車化。 「白鳥」主要駅時刻(1962年6月10日改正) 行先列車番号大阪米原金沢直江津鶴岡秋田青森長野高崎上野青森2001D0815 09350937 12121216 15061509 19031904 20592102 2350 上野2004D↓1510 → 16361638 19151917 2035 大阪2003D2107 19461948 17161718 1354↓ ← 12351237 10061008 0850 2002D14011407 10051006 08070810 0520 備考 2003D・2004D:上野 - 直江津間列車番号 ↓:分割併合 「白鳥」編成の推移 1961年10月1日 - 1963年4月19日 ← 大阪・上野 直江津 → ← 大阪 青森 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 車両所属 尾久客車区 車両所属 向日町運転区 食堂車担当 日本食堂上野営業所 食堂車担当 日本食堂青森支店 1963年4月20日 - 1963年9月30日 ← 大阪・上野 直江津 → ← 大阪 青森 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 上野編成7両化ならびに運用を向日町運転区へ移管 1963年10月1日 - 1965年9月30日 ← 大阪・上野 直江津 → ← 大阪 青森 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 青森編成7両化 1965年10月1日 - 1970年3月31日 ← 大阪 新潟 → ← 大阪・青森 新潟 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キシ80 キロ80 キロ80 キハ82 上野編成を「はくたか」に分離 新津 - 新発田間を信越本線・白新線経由に変更して新潟立寄ならびに転回車連結開始 1970年4月1日 - 1971年4月25日 ← 大阪・青森 新潟 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キロ80 キハ82 1 - 4号車の新潟転回を廃止し全編成全区間運転 5 - 13号車は「やくも」と共通運用 1971年4月26日 - 1972年9月30日 ← 大阪・青森 新潟 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キロ80 キハ82 キハ80 キハ82 5・6号車を12・13号車に組成変更 1972年3月14日まで「やくも」と共通運用 備考 上野編成:上野 - 直江津逆編成ならびに1963年10月以降は横軽対策施工車限定 青森編成:1965年10月1日以降は新潟 - 青森逆編成 運転開始時の青森編成組成が上野編成と逆向きとなるのは向日町 - 大阪間の出入を北方貨物線から塚本駅構内のデルタ線を経由するため。本措置は向日町配置の本系列で運用される大阪・新大阪発着列車で「白鳥」のみ485系電車化されるまで行われた。 「つばさ」 上野 - 秋田間 1往復 東北・奥羽本線経由 上述した「白鳥」青森編成と秋田で接続しており、両列車を乗り継ぐ場合特急料金も通し計算となり、上野 - 青森間を奥羽本線経由で乗継乗車が可能。 「白鳥」「つばさ」の上り列車は秋田発が同時の8時10分で、羽越・奥羽本線が単線で平行する1 kmほどの区間では2本の本系列が並走する状況を見ることができた。 上野1230(5D つばさ)2100秋田0810(6D つばさ)1640上野 1965年10月1日ダイヤ改正で2往復へ増発。1970年2月にキハ181系へ置換え。 「ひばり」上野 - 仙台間 1往復 東北本線経由 車両落成を待って1962年4月27日から当初は毎日運転の臨時列車扱いで運転開始。運転区間は上野 - 黒磯間が直流、黒磯 - 仙台間が交流電化されていたが、交直流両用特急電車は開発途上でさらには東海道新幹線開業による余剰となる151系電車に交直流化改造を施工する計画も存在したため本系列での充当となった。 上野1630(1003D ひばり)2123仙台0730(1004D ひばり)1225上野 1963年12月5日にダイヤはそのままで列車番号を3D・4Dへ変更し定期列車化。1964年10月1日ダイヤ改正で列車番号を「やまばと」に譲り7D・8Dへ変更。1965年10月1日ダイヤ改正で483系電車化され仙台運転所へ運用移管。 「まつかぜ」 「まつかぜ」 京都 - 松江間 1往復 東海道・福知山・山陰本線経由 従来ローカル線同然と見なされていた山陰本線に初めて運行された特急。京都・大阪両方の乗客を獲得する観点から京都 - 福知山間ではあえて東海道本線・福知山線経由と60 km以上の迂回ルートを経由する将来の発展性を考えた設定がなされた。国鉄当局は当初乗客が定着するか危惧していたが、乗車率は良好で1964年3月25日ダイヤ改正で運転区間を博多まで延長した。 京都0730(7D まつかぜ)1405松江1500(8D まつかぜ)2135京都 1985年3月14日ダイヤ改正でキハ181系へ置換えで本系列の充当を終了。 「かもめ」 京都 - 長崎・宮崎間 各1往復 京都 - 小倉間併結 東海道・山陽・鹿児島・長崎本線/日豊本線経由 従来の京都 - 博多間客車特急から置換えし、運転区間変更と延長を実施。宮崎編成は大阪から当日中の到着を初めて可能にした。 1965年10月1日ダイヤ改正以降数度の運転区間変更を経て、1975年3月10日ダイヤ改正で山陽新幹線博多開業により廃止。 「かもめ」主要駅時刻 行先列車番号京都岡山下関小倉博多諫早長崎大分延岡宮崎長崎1D0800 10511054 16171618 16321635 17301733 19321933 2005 宮崎2001D↓1638 → 18441846 20482049 2200 京都2002D2200 19051908 13401341 1319↓ ← 11131115 09120913 0800 2D13211326 12221225 10211022 0950 備考 2001D・2002D:小倉 - 宮崎間列車番号 ↓:分割併合 「みどり」 大阪 - 博多間 1往復 東海道・山陽・鹿児島本線経由 車両の信頼性確保確認を待って同年12月15日から運転開始。 大阪1340(3D みどり)2235博多0725(4D みどり)1620大阪 1964年10月1日ダイヤ改正で「つばめ」「はと」運転開始に伴い基本編成は熊本まで、付属編成は日豊本線大分まで運転区間を延長。1965年10月1日ダイヤ改正で基本編成は大分行、付属編成は佐世保行に区間変更。1967年の大分電化により基本編成は単独で583系電車に置換えならびに佐世保編成は宮崎発着の「いそかぜ」に併結運転となり改称。 「へいわ」 大阪 - 広島間 1往復 東海道・山陽本線経由 山陽本線広島電化完成に伴う翌1962年6月10日ダイヤ改正で、東京 - 大阪間電車特急「つばめ」1往復を大阪 - 広島間延長する形で発展的廃止。 大阪1800(5D へいわ)2240広島0730(6D へいわ)1210大阪 「かもめ」を除いては全て新設列車であり、「つばさ」「ひばり」「白鳥」上野編成以外は、いずれも東京都に直通しない特急列車であった。本系列が地方路線近代化の旗手となったことを象徴する事実である。
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