1961年10月ダイヤ改正とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1961年10月ダイヤ改正の意味・解説 

1961年10月ダイヤ改正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:57 UTC 版)

国鉄キハ80系気動車」の記事における「1961年10月ダイヤ改正」の解説

この改正では、日本全国に9往復しかなかった国鉄特急列車一気26往復まで増発させることになり改良形キハ82系増備函館運転所15両、尾久客車区34両、向日町運転区78両が配置されたが、ダイヤ設定されたものの「ひばり」は充当用7両が1962年4月7日落成となり同月27日から運転開始「みどり」就役した本系列の信頼性未知数であり、万一トラブル起きた場合でも代替用の予備車両即座に用意できる態勢作り故障率低さ確認した上で同年12月からの運転となったが、それでも完璧にトラブル排除するまでには至らなかった。 当時開設されたばかり本系列による特急列車運行多数担当した向日町運転区では、初代区長就任した山之内秀一郎トラブル対策での部品不足を補うため運転開始前の「みどり」予備車を補修部品取り利用したことを著書明らかにしたほか、ダイヤ改正初日下りまつかぜ」では最後尾6号車キハ82 40車軸発熱トラブルのため福知山で緊急解結となり40分遅れで発車5号車キハ80キシ80サービス電源不足したため食堂営業止め5号車乗客収容した上で15分遅延して松江到着折り返しの上列車では1号車組成されていたキハ82 27転車台方向転換させた上で京都先頭に、最後尾米子機関区(→米子運転所→現・後藤総合車両所運用検修センター所属キハ28 7連結して運転。豊岡応急修理完了したキハ82 40車両交換行った奥羽本線福島 - 米沢間に介在する急勾配区間板谷峠通過する「つばさ」では、故障トラブル回避という観点から低速での自力登坂走行は可能であったものの液体変速機作動油(トルクコンバータフルード)のオーバーヒート防止する安全策として補助機関車連結した補機運用は、福島機関区(現・福島総合運輸区)が担当当初EF16形1965年10月からはEF64形交流電化転換後1968年9月22日以降EF71形が充当され1964年10月1日ダイヤ改正新設され上野 - 山形間の「やまばとも本措置が採られた。 本改正新設され本系列による特急列車は、定員1等48人・2等248人・食堂定員32人としたキハ82形2両・キハ80形2両・キロ80形1両・キシ80形1両で構成される6両編成とし、2方面発着を行う「白鳥」「かもめ」は2編成併結運転された。 「おおぞら函館 - 旭川間 1往復 函館室蘭千歳線経由区間運転されていた急行大雪」の格上げにより北海道初の特急列車として設定青函連絡船夜行便介し、「はつかり「白鳥」接続函館 - 札幌間は、従来最速気動車急行より30短縮され4時30分、上野 - 札幌間も21時間台となり、大幅なスピードアップ実現した函館0455(1D おおぞら1125旭川1730(2D おおぞら2400函館1962年10月1日ダイヤ改正食堂車を含む基本編成6両を函館本線滝川分割し根室本線経由釧路まで区間延長付属編成旭川発着となった。これ以後詳細は#函館運転所函ハコ)の項目を参照「白鳥」 大阪 - 青森上野 各1往復 大阪 - 直江津併結 東海道北陸・信越羽越奥羽本線/信越高崎東北本線 国鉄内部では青森編成=「青森白鳥」・上野編成=「信越白鳥」と呼称し、同一愛称ながら別列車という見解示した。また両編成とも冬期豪雪地帯通過するために遅延発生しやすく、大阪行ではいずれかの編成大幅な遅延発生した場合直江津での併結行わずそれぞれ単独運転を行うマニュアル運転開始時から設定された。 向日町運転区所属車が充当され青森編成は、関西地区 - 青森同日着を初め可能にした列車で全区間1052.9 km当時最長距離昼行列車でもある。 当初尾久客車区所属車、1963年4月20日以降向日町所属車が充当され上野編成は、北陸本線では関西 - 北陸旅客用増結車東京から北陸への最速列車という2つ役割持っていた。また信越本線横川 - 軽井沢間は碓氷峠急勾配区間のため自力での単独通過不可能であり、この区間ではアプト式時代ED42形を、1963年粘着運転化後はEF63形補機として連結した上で本系列も横軽対策施工限定での運転となり、所要時間15分短縮1962年6月10日には北陸トンネル開通。運転距離を7.1 所要時間青森上野行き10分、大阪行きで5分短縮1965年10月1日ダイヤ改正上野編成は金沢を境に「雷鳥」と「はくたか」系統分割ならびに青森編成新潟立ち寄り開始1972年10月2日ダイヤ改正羽越本線電化完成により485系電車化。 「白鳥」主要駅時刻1962年6月10日改正行先列車番号大阪米原金沢直江津鶴岡秋田青森長野高崎上野青森2001D0815 09350937 12121216 15061509 19031904 20592102 2350 上野2004D↓1510 → 16361638 19151917 2035 大阪2003D2107 19461948 17161718 1354↓ ← 12351237 10061008 0850 2002D14011407 10051006 08070810 0520 備考 2003D・2004D:上野 - 直江津列車番号 ↓:分割併合 「白鳥」編成の推移 1961年10月1日 - 1963年4月19日大阪上野 直江津 → ← 大阪 青森1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 車両所尾久客車区 車両所向日町運転区 食堂車担当 日本食堂上野営業所 食堂車担当 日本食堂青森支店 1963年4月20日 - 1963年9月30日大阪上野 直江津 → ← 大阪 青森1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 上野編成7両化ならびに運用向日町運転区移管 1963年10月1日 - 1965年9月30日大阪上野 直江津 → ← 大阪 青森1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キハ82 青森編成7両化 1965年10月1日 - 1970年3月31日大阪 新潟 → ← 大阪青森 新潟1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キシ80 キロ80 キロ80 キハ82 上野編成を「はくたか」分離 新津 - 新発田間を信越本線白新線経由変更して新潟立寄ならびに転回車連開始 1970年4月1日 - 1971年4月25日大阪青森 新潟1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キロ80 キハ82 1 - 4号車新潟転回廃止し全編成全区間運転 5 - 13号車は「やくも」と共通運1971年4月26日 - 1972年9月30日大阪青森 新潟1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 キハ82 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ80 キハ80 キシ80 キロ80 キロ80 キハ82 キハ80 キハ82 56号車12・13号車組成変更 1972年3月14日まで「やくも」と共通運備考 上野編成:上野 - 直江津編成ならびに1963年10月以降横軽対策施工限定 青森編成1965年10月1日以降新潟 - 青森編成 運転開始時の青森編成組成上野編成と逆向きとなるのは向日町 - 大阪間の出入北方貨物線から塚本駅構内デルタ線経由するため。本措置向日町配置本系列で運用される大阪新大阪発着列車「白鳥」のみ485系電車化されるまで行われた。 「つばさ」 上野 - 秋田間 1往復 東北奥羽本線経由 上述した「白鳥」青森編成秋田接続しており、両列車乗り継ぐ場合特急料金通し計算となり、上野 - 青森間を奥羽本線経由乗継乗車が可能。 「白鳥」「つばさ」の上列車秋田発が同時の8時10分で、羽越奥羽本線単線平行する1 kmほどの区間では2本の本系列が並走する状況を見ることができた。 上野1230(5D つばさ)2100秋田0810(6D つばさ)1640上野 1965年10月1日ダイヤ改正で2往復増発1970年2月キハ181系置換え。 「ひばり」上野 - 仙台間 1往復 東北本線経由 車両落成待って1962年4月27日から当初毎日運転の臨時列車扱い運転開始運転区間上野 - 黒磯間が直流黒磯 - 仙台間が交流電化されていたが、交直流両用特急電車開発途上さらには東海道新幹線開業による余剰となる151電車に交直流改造施工する計画存在したため本系列での充当となった上野1630(1003D ひばり)2123仙台0730(1004D ひばり)1225上野 1963年12月5日ダイヤそのまま列車番号3D4D変更し定期列車化。1964年10月1日ダイヤ改正列車番号を「やまばと」に譲り7D・8Dへ変更1965年10月1日ダイヤ改正483系電車化され仙台運転所運用移管。 「まつかぜ」 「まつかぜ京都 - 松江間 1往復 東海道福知山山陰本線経由 従来ローカル線同然と見なされていた山陰本線初め運行され特急京都・大両方乗客獲得する観点から京都 - 福知山間ではあえて東海道本線福知山線経由60 km上の迂回ルート経由する将来の発展性を考えた設定なされた国鉄当局当初乗客定着する危惧していたが、乗車率良好1964年3月25日ダイヤ改正運転区間博多まで延長した京都0730(7D まつかぜ)1405松江1500(8D まつかぜ)2135京都 1985年3月14日ダイヤ改正キハ181系置換え本系列の充当終了「かもめ」 京都 - 長崎宮崎間 各1往復 京都 - 小倉併結 東海道山陽鹿児島長崎本線/日豊本線経由 従来京都 - 博多客車特急から置換えし、運転区間変更延長実施宮崎編成大阪から当日中の到着初め可能にした。 1965年10月1日ダイヤ改正以降数度運転区間変更経て1975年3月10日ダイヤ改正山陽新幹線博多開業により廃止「かもめ」主要駅時刻 行先列車番号京都岡山下関小倉博多諫早長崎大延岡宮崎長崎1D0800 10511054 16171618 16321635 17301733 19321933 2005 宮崎2001D↓1638 → 18441846 20482049 2200 京都2002D2200 19051908 13401341 1319↓ ← 11131115 09120913 0800 2D13211326 12221225 10211022 0950 備考 2001D・2002D:小倉 - 宮崎間列車番号 ↓:分割併合 「みどり」 大阪 - 博多間 1往復 東海道山陽鹿児島本線経由 車両信頼性確保確認待って同年12月15日から運転開始大阪1340(3D みどり)2235博多0725(4D みどり)1620大阪 1964年10月1日ダイヤ改正「つばめ」「はと」運転開始に伴い基本編成熊本まで、付属編成日豊本線大分まで運転区間延長1965年10月1日ダイヤ改正基本編成は大分行、付属編成佐世保行に区間変更1967年の大分電化により基本編成単独583系電車置換えならびに佐世保編成宮崎発着「いそかぜ」併結運転となり改称。 「へいわ」 大阪 - 広島間 1往復 東海道・山陽本線経由 山陽本線広島電化完成に伴う翌1962年6月10日ダイヤ改正で、東京 - 大阪間電車特急「つばめ」1往復大阪 - 広島延長する形で発展的廃止大阪18005D へいわ)2240広島0730(6D へいわ)1210大阪 「かもめ」除いて全て新設列車であり、「つばさ」「ひばり」「白鳥」上野編成以外は、いずれも東京都直通しない特急列車であった本系列が地方路線近代化旗手となったことを象徴する事実である。

※この「1961年10月ダイヤ改正」の解説は、「国鉄キハ80系気動車」の解説の一部です。
「1961年10月ダイヤ改正」を含む「国鉄キハ80系気動車」の記事については、「国鉄キハ80系気動車」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1961年10月ダイヤ改正」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1961年10月ダイヤ改正」の関連用語

1961年10月ダイヤ改正のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1961年10月ダイヤ改正のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国鉄キハ80系気動車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS