編成の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:42 UTC 版)
1973 - 1984年頃の編成 ← 荻窪・中野富士見町 池袋 → 500 300 400 400 500 500 500 500 900 900 500 500 500 300 500 500 300 500 太数字:修繕済み車 斜体数字:完全中間車改造 その他変則パターンの編成も存在した。 801・802を組んだ例 ← 荻窪・中野富士見町 池袋 → 801 802 900 300 500 500 1989 - 1995年までの編成 ← 荻窪・中野富士見町 池袋 → 500 500 500 500 500 500 500 900 500 500 900 500 500 300 500 500 300 500 500 500 500 500 500 500 この頃から号車番号表記シール(荻窪・中野富士見町方の先頭車が1号車)が貼付されるようになり、2・4号車または3・5号車の位置に連結されていた300形・400形の置き換えで初期・中期更新車が組み込まれることが多くなった。このため、荻窪・池袋方の先頭車両には基本的に中・後期更新車が充当されるようになると初期更新車は編成の中間に組成された。また、検査予備車だった801-802号車もやがて編成の中間に連結されることが多くなっていった。ただしこの2両はその後も先頭運用可能なように整備されており、前面運転台側鋼製サッシで車掌側2段窓、手動ワイパーで折りたたみ可能な乗務員室仕切り、かつ802号車には貫通幌が設置されるという中間封じ込め車に準ずる体裁でありながら、時折編成先頭に立って運用された。 1993年(平成5年)、方南町支線で運用されていた2000形が離脱したため、代替として500形や中間車改造された300形などが3両編成となって方南町支線へ移動した。 1995年2月に本線口の運用が終了すると、廃車されたグループはアルゼンチン・ブエノスアイレスへ渡った。残った車両は3両へ減車されて方南町支線へと移動するが、翌1996年7月に02系80番台へ交代して全車廃車となった。
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