記録に残る主な噴火とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 記録に残る主な噴火の意味・解説 

記録に残る主な噴火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:37 UTC 版)

浅間山」の記事における「記録に残る主な噴火」の解説

685年天武天皇14年3月飛鳥時代『日本書紀』白鳳地震の5か月後、信濃国(現・長野県)で灰が降り草木枯れたとする記述がある。浅間山噴火とされたが、具体的に浅間山記述されているわけではなく風向きから寧ろ西方例え新潟焼山焼岳などの噴火可能性もあるとされる1108年嘉承3年天仁元年平安時代天仁大規模噴火噴火場所は前掛山で30トン推定される噴出物を伴う大噴火火山爆発指数:VEI5。上野国(現・群馬県一帯噴出物降り積もり田畑壊滅的な打撃もたらした。『中右記』に記録されている。天仁元年9月5日の条に、この年40年も前の治暦年間1065年 - 1069年)に噴煙上がっており、その後も少しではあるが噴煙上がり同年7月21日になって突然、大噴火起こした噴煙は空高く舞い上がり噴出物上野の国一帯に及び、田畑ことごとく埋まってしまった、と記されている。復興のために開発した田畑豪族私領化し、さらに荘園へと発展した。この噴火上野国荘園化を促すきっかけとなったまた、長野県側にも火砕流追分火砕流)が約15km駆け下り湯川小諸市石峠付近まで達し山麓集落複数埋没した可能性がある。天明大噴火よりも大規模な噴火だったとされている。最近12世紀初め欧州における数年間の異常気象大雨冷夏による作物不作飢饉の原因浅間山噴火であった可能性示唆された 。 1128年 大治3年 大規模なマグマ噴火噴火場所は前掛山。火山爆発指数:VEI4。 1532年 享禄4年 噴火場所は山頂付近噴石火口周囲 8kmにわたり落下直径25m 以上の「七尋石(ななひろいし)」が残っている。火山爆発指数:VEI2。 1582年 天正10年多聞院日記』『晴豊公記』『日本史』などが、2月11日浅間山噴火して京都からでも観測できたと伝えている。この噴火はちょう織田信長軍勢武田領への侵攻甲州征伐)を開始してまもなくだったため、武田領国内の国衆領民武田勝頼天から見放されたと考え、この噴火の日を境に武田領国諸城織田軍に抵抗することなく陥落していった1721年 享保6年 火砕物降下噴石のため登山者 15死亡重傷 1名。火山爆発指数:VEI1。 1783年8月5日天明3年7月8日天明大噴火 噴出物総量4.5×108m3、火山爆発指数:VEI4。4月9日旧暦。以下この項目では同じ)に活動再開した浅間山は、5月26日6月27日と、1か月ごとに噴火小康状態繰り返しながら活動続けていた。 6月27日からは噴火爆発毎日繰り返すようになっていた。日を追うごとに間隔短くなると共に激しさ増し江戸関西でも戸障子振動するなどした。 7月6日から3日間にわたる噴火大災害引き起こした最初に北東および北西方向(浅間山から北方向に向かってV字型)に吾妻火砕流発生(この火砕流は、いずれも群馬県側に流下した)。続いて、約3か月続いた活動によって山腹堆積していた大量噴出物が、爆発噴火震動に耐えきれずに崩壊。これらが大規模な土石雪崩となって北側高速押し寄せた。なお7月8日頃の爆発音については京都四国広島まで聞こえ疑わしい長崎まで聞こえたとする記録もあるという。高速化した巨大な流れは、山麓大地をえぐり取りながら流下鎌原村(現・嬬恋村大字鎌原地域)と長野原町一部壊滅させ、さらに吾妻川流れ込んで天然ダム形成して河道閉塞生じた天然ダム直ぐに決壊し泥流となり大洪水引き起こして吾妻川沿いの々を飲み込みながら本流となる利根川へと入り込み現在の前橋市から玉村町あたりまで被害及んだ増水した利根川押し流したもの全て下流運び当時利根川本流であった江戸川にも泥流流入して多く遺体利根川下流域江戸川打ち上げられた。この時の犠牲者は1624人(うち上野国一帯だけで1,400人以上)、流失家屋 1151戸、焼失家屋 51戸、倒壊家屋130余りであった最後に鬼押出し溶岩」が北側流下して、天明3年浅間山大噴火収束向かったとされている。 長らく溶岩流火砕流土砂移動の原因考えられてきたが、低温乾燥粉体流災害の主要因であった。最も被害大きかった鎌原村地質調査をしたところ、天明3年噴出物全体の5%ほどしかないことが判明また、1979年昭和54年)から嬬恋村によって行われた発掘調査では、3軒の民家確認できたが、出土品焦げた燃えたりしたもの極めて少ないことから、常温土石主成分であることがわかっている。また、一部溶岩火口付近に堆積し結し流動して流下した火砕成溶岩一部であると考えられている。2000年代発掘では、火山灰遠く栃木県鬼怒川から茨城県霞ヶ浦埼玉県北部にまで降下していることが確認された。また、大量に堆積した火山灰利根川本川大量土砂流出させ、天明3年水害天明6年水害などの二次災害被害引き起こした。 この時の噴火天明の大飢饉原因となり、東北地方で約10万人の死者出した長らく認識されていたが、東北地方気候不順による不作は既に1770年代から起きていることから直接的な原因とは言い切れない。一方で同じ年には、東北地方北部にある岩木山噴火4月13日天明3年3月12日)したばかりか、アイスランドラキ火山(Lakagígar)の巨大噴火ラカギガル割れ目噴火6月8日)とグリムスヴォトン火山Grímsvötn)の長期噴火起き桁違い大き膨大な量の火山ガス成層圏まで上昇噴火に因る塵は地球の北半分覆い地上達す日射量減少させたことから北半球低温化・冷害もたらしたこのため既に深刻になっていた飢饉拍車をかけ事態悪化させた面がある。「火山の冬#有史時代の事例」も参照1938年昭和13年6月7日 降灰多量噴出物総量2×105m3、9月26日1343噴煙高さ 8,200m火山爆発指数:VEI1.3。 1947年昭和22年8月14日 噴煙高さ 12,000m、噴石により11名の犠牲者火山爆発指数:VEI1。 1950年昭和25年9月23日午前4時37分に大爆発登山中の高校生1人噴石を頭に受けて死亡降灰茨城県埼玉県東京都にも見られた。爆発音愛知県名古屋市まで届いた。この噴火により噴出したトン岩と呼ばれる巨大な岩塊群馬県側の山頂火口付近に存在する1958年昭和33年11月10日 午後10時50分、突然大爆発して噴煙が高さ 7,000 - 8,000mに達した噴出物総量3.6×105m3、火山爆発指数:VEI1。 1973年昭和48年2月1日 爆発小規模な火砕流発生。約1ヶ月前から活発な火山性地震観測1月13日14日合計150回超)し、5月24日まで微噴火まで合わせ87回の噴火活発な活動続いた火山爆発指数:VEI2。 1983年昭和58年4月8日 爆発福島県太平洋岸でも降灰観測火山爆発指数:VEI0.9。 2004年平成16年9月1日 2020分頃噴火確認小康状態の後、9月14日 - 18日にかけて、及び9月23日には中規模噴火11月14日以降噴火観測されず。火山爆発指数:VEI1。 2008年平成20年8月10日 小規模噴火確認2009年平成21年2月2日 噴火確認関東平野の広い範囲に10g/m2 - 50g/m2の降灰ウィキニュース関連記事あり。火山爆発指数:VEI1。 2015年平成27年06月16日 午前9時30分頃、空振観測しない程度小規模噴火北から北東にかけて微量降灰確認06月19日 17時頃ごく小規模な噴火発生2019年令和元年08月0722時08分頃、小規模噴火同日浅間山火口周辺警報噴火警戒レベル3(入山規制))を発表08月25日1928分頃、噴火

※この「記録に残る主な噴火」の解説は、「浅間山」の解説の一部です。
「記録に残る主な噴火」を含む「浅間山」の記事については、「浅間山」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「記録に残る主な噴火」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「記録に残る主な噴火」の関連用語

1
4% |||||

記録に残る主な噴火のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



記録に残る主な噴火のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの浅間山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS