琴電入線後
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「高松琴平電気鉄道1070形電車」の記事における「琴電入線後」の解説
譲渡に際して、以下の改造が、京急車輌工業により実施されている。 前面を改造し、貫通路を設置。レイアウトは1050形に準じているが、テールライトは京急時代のまま流用された。 クロスシートを撤去しロングシート化。 主幹制御器(マスコン)を9段式(直列5段、並列4段)のHL用に交換。自動加速車である当形式と、在来の手動加速車の併結・総括制御を可能とするためである。 ブレーキはHSC-D(発電制動併用電磁直通空気制動)から電磁SME-D(発電制動併用非常管併設非セルフラップ式電磁弁付三管式直通空気制動)に変更。 主制御器の回線を変更し、加減速性能を変更。弱め界磁をカットしたため、マスコン段数は5段から3段に減少した。 空気圧縮機をC-1000形に交換。 ATSを1号形から琴電形に交換。 このほか、85km/hまでのスピードリミッターの取りつけが行われた(京急時代の設計最高速度は120km/hで運行最高速度はブレーキ性能の関係上105km/hだった)。低速域でブレーキ力が強くなる鋳鉄シューを京急時代から用いているため、発電制動が失効し空気制動のみになっても制動力の変化はあまり生じない。京急時代はブレーキ圧を10km/h以下で半減させるB-55装置を用いていたが、琴電では電空協和器を用いず減速力を均等にすることを可能にした。また、琴平線では初めて、客扉の内側はステンレス製無塗装となり、塗装及び化粧板が省略された。 琴電初の冷房車ということもあり、入線当初は最大限に活用された。だが、車齢が若く扉数の多い車両が増えたため、現在は、主に朝夕のラッシュ時を中心に運用されている。 なお、現在琴電全線で定期運用に入っている車両で唯一、前面の行き先表示にサボを使用する。2011年には長尾線に1300形が追加投入され、玉突きされた600形により、1075-1076編成が廃車となった。同編成は2011年10月30日にさよなら運転が実施され、その後解体された。
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琴電入線後
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「高松琴平電気鉄道1100形電車」の記事における「琴電入線後」の解説
長尾・志度線の旧型車代替計画が1990年代の初頭に進められた。この時、導入車両の提案をしたのが京王系列の京王重機整備である。 しかし、この時の提案は種車の廃車計画が予定通りに進まなかったために実現しなかった。その代わりに京王5000系電車が、琴平線の冷房化率向上を名目に導入されることになった。 導入に際しては、以下の改造が、同社北野事業所で実施された。 中間電動客車のデハ5000形から改造された1101 - 1104は、他の車両から運転台部分を切りだし接合する改造を受けた。また、車両の順序を入れ替え、パンタグラフが連結面側に来るように変更された。その上で、偶数車 (1102, 1104) のパンタグラフは撤去された。 制御客車のクハ5700形から改造された1105 - 1108は、中間電動車の部品を使い、電動車に改造された。パンタグラフは奇数車 (1105, 1107) に新設した。 台車・主電動機は、京浜急行電鉄(京急)1000形の廃車発生品に交換。 弱め界磁制御をカット。 主幹制御器(マスコン)をHL制御用に交換。制動機をHSC-D(発電制動併用電磁直通制動)から電磁SME-D(非常管併設発電制動併用非セルフラップ式電磁弁付三管式直通空気制動)に変更。在来車との併結および総括制御を可能にするためである。ただし、1100形自体は京王5000系時代と同じ自動加速制御のままである(日立MMC-HTB-20C:直列12段、並列6段)。 85km/hまでの速度リミッターの取り付け。 連結器を電気連結器付き密着連結器から密着自動連結器に交換。 電動空気圧縮機をHB-2000形から琴電標準のC-1000形に交換。 ATS、列車無線等、保安装置を琴電用に交換。(例:京王形ATS→琴電形ATS) 車内の化粧板、床材、座席モケットの交換。 ドア付近に短いつり革の増設。 1997年7月にまず1101編成・1103編成の2編成を導入。代替で1013-1014、1017-950の4両が廃車になった。同年10月に残りの1105編成・1107編成の2編成も入線したが、こちらは輸送力増強のための車両増備として導入されたため、代替廃車はない。 塗装は、当時の標準塗装(上半分アイボリー、下半分ピンク)ではなく、コトデン瓦町ビルに開店したばかりだった「コトデンそごう」(2001年4月閉店)の包装紙の色をイメージした、白地に窓周りに青緑と黒を配したものとなった。俗に「そごうカラー」と呼ばれる。 その後、ラインカラー制導入に伴い、2004 - 2005年に外板を上半分アイボリー、下半分黄色の琴平線標準塗装に変更した。 2015年2月頃、1107+1108編成の前面と側面の行き先表示器が幕式からLED式に変更され、2018年5月には標識灯が撤去された。今後、他車両にも同じような変更が行われるのかは不明。なお、19年12月時点で琴電の電車でLED式行き先表示器設置と標識灯が撤去されている車両はこの編成のみとなる。 貫通扉の渡り板は、京王時代は普段上げられていたが琴電では下げられることが多い。
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琴電入線後
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「高松琴平電気鉄道1050形電車」の記事における「琴電入線後」の解説
1977年に入線した。入線に伴い、下記の改造が行われた。 片側3箇所にある客用扉のうち、中央の扉を撤去し、窓を2つ新設した。当時の瓦町駅のホームが曲線上にあったため、高松築港方面の列車は中央のドアとホームとのすき間が大きくなり、乗降に危険が生じるための措置である。 なお、従来の窓が2段上昇式なのに対し、新設の窓は下段上昇・上段下降式と異なる。このため、新設のものには、保護棒が設置されていない。 琴電在来車に合わせ、制御方式はHL、制動方式は電磁SME(非常管併設電磁弁付三管式直通空気制動)を採用した。主電動機および台車は、同時期に琴電に入線した京急230形(車体は30形となった)のものを使用している。 連結器をバンドン形から自動連結器に交換。後に密着自動連結器に交換。 ATSを阪神形から琴電形に交換。 琴電初の両開きドア設置車両となった。 1984年には台車・主電動機を新造のものに交換し、カルダン駆動化された。台車は電動車が住友FS-526、制御車がFS-026で、主電動機は三菱MB-3239A(出力110kw)×4である。 2003年に、1200形1201-1202・1203-1204・1205-1206の入線に伴い、同年3月にさよなら運転が行われた後、廃車解体されている。
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琴電入線後
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「高松琴平電気鉄道1050形電車」の記事における「琴電入線後」の解説
1981年に入線した。機器類は手持ち部品の流用となった1050形に対し、当形式では全て新品が用意され、琴電初のカルダン駆動車となった。また自動加速車であるが、手動加速車(HL制御車)との併結が初めて可能となった。台車は日車ND-115で、主電動機はMB-3239A(出力110kw) ×4である。 車体は1050形と同じ理由で車体中央の客用ドアを埋め、従来の窓と同じ寸法の3枚窓1組を設置した。連結器はバンドン形から密着自動連結器に変更された。 引き続き増備の計画もあったが、結局2両のみの購入で終わった。 2005年の1200形1211-1212・1213-1214・1215-1216の入線に伴い、同年6月にさよなら運転が行われた後、廃車解体されている。
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琴電入線後
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「高松琴平電気鉄道1050形電車」の記事における「琴電入線後」の解説
当時、琴電は老朽化した中・小型の増結車に代わる増結車を探していた。そのため、大型で両運転台の当車が購入された。琴電には車体のみが譲渡され、以下の改造が行われた。 片側3箇所にある客用扉のうち、1050形と同じく中央の扉を撤去し窓を設置(同形車の客用扉間の窓を流用)。 琴電在来車に合わせ、制御方式はHL、制動方式は電磁SMEを採用した。主電動機および台車は、もと京急230形のものを使用している。 連結器をバンドン形から自動連結器に変更。後に密着自動連結器に交換。 ATSを阪神形から琴電形に交換。 琴電入線後は、主に朝夕ラッシュ時の増結用として使用された。全長19,226mmは現在に至るまで琴電史上最長である。しかし冷房化推進のため、2005年に1200形1211-1212・1213-1214が入線し、この代替として同年6月にさよなら運転を行って定期運用を離脱、1061は廃車・解体された。その後1062は事業用車となり仏生山工場での入換などで使用された後、2006年10月に廃車・解体された。 なお、本形式ならびに1053形・1063形の廃車に伴い、2011年に長尾線から600形が転用されるまでの間、琴平線の車両から両開きドアの車両が一旦消滅した。また、全て平行カルダン駆動、冷房装置付きの自動加速制御車になった。
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琴電入線後
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「備南電気鉄道モハ100形電車」の記事における「琴電入線後」の解説
入線時には台車の改軌工事以外、特に大きな改造を受けなかった。車番はモハ102・モハ103・モハ101の順に750・760・770となった。日立MMC多段式制御と大出力電動機による性能を活かし、琴平線にて急行用車両として使用された。1967年には妻面に貫通扉を設置している。 しかし、この仕様は日立製のさらに特殊な制御器を搭載していた10000形などの急行用車群と同様、ラッシュ時に他の形式との併結運転が困難であるなど、運用上様々な形でネックとなった。このため高松琴平電気鉄道は柔軟な車両運用を実現すべく、機器の仕様統一に乗り出した。 まず、1974年には制御器を当時の琴平線で標準となっていたHL単位スイッチ式非自動加速制御器に置き換えた。これにより他車との連結が可能になったが、ノッチ進段操作を手動で随時行わねばならなくなり、また力行時の内部ノッチ進段数が減少したため、加速時の衝動が目立つようになった。この際、出力が過剰だった主電動機も他車と交換している。 さらに、電動発電機などの補機を複電圧対応品に交換、翌1975年には当時架線電圧が直流600Vであった長尾線に転属した。 この時期には車両数の関係で750形同士で編成を組むことが多かった。その中でも770は予備車扱いであまり使用されなかった。 1978年11月3日に現在の学園通り駅(当時は未開業)付近で発生した踏切でのダンプカーとの衝突事故(詳細は学園通り駅を参照)により、770が事故廃車になった。770と連結していた760は仏生山工場で修理され、その後運用復帰した。 残る2両は長尾線・志度線にて使用されたが、同一形式同士の2両編成から他車との連結運転に変わって行く。そして、主電動機を75kW×4に交換してからは、860形制御車と編成を組むようになる。750は870と、760は860と連結することが多かった。 1994年の瓦町駅改良工事開始に伴い、長尾線専用となる。その後、冷房車両の600形投入に伴い、1998年7月、860形が廃車になり、再び他形式の電動車との連結運転となる。しかし、翌1999年には600形603-604入線に伴い、750が廃車となった。 残る760は、2004年にクリーム色と茶色の琴電旧塗装に塗り替え、主にラッシュ時の増結・増便時に使用されていた。だが2006年にことでん全線における在籍全車両の完全空調設備装備化が決定。技術的・経済的理由から空調設備を搭載できない760号は他形式の空調設備整備が完了する同年7月に廃車と決定。5月と8月にさよなら運転が行われ、9月上旬づけで営業運転を終了し廃車となった。
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