入線当初とは? わかりやすく解説

入線当初

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 15:06 UTC 版)

小田急1800形電車」の記事における「入線当初」の解説

1946年8月クハ1851・1852が入線その後入線したデハ1801・1802と2両編成組成し、同年10月から運用開始した同年12月にはさらに6編成入線したが、これは当初厚木線配置された。1947年入ってから2編成入線し、小田原線配置された。また、デハ1809と1810が逆向き経堂入ってしまい、再度国鉄戻り方向転換して戻されるということもあった。これらの車両は各線区にとっては初めての20m級車両であり、施設など1800形入線機に改修された。とはいえ戦時中国鉄車両入線実績があったので、あまり問題はなかったという。1947年11月に、相模鉄道経営委託解除されたのに伴いデハ1806 - 1808とクハ1856 - 1858の6両は相模鉄道譲渡された。デハ1803 - 1805とクハ1853 - 1855の6両は小田原線運用されるようになった一方で63形割り当てられ会社のうち、名鉄では3700系として運用されていたが、車両大型過ぎるために運用範囲限定されていたことから、十分に活用できていなかった。名鉄ではこれを東武小田急売却することになり、小田急には翌1948年12月に3編成入線した。名鉄から譲受した車両デハ1811 - 1813クハ1861 - 1863と、それまで車両続き番号が配番された。当初より小田急入線した車両では偶数番号車両制御電動車小田原側に向いていたのに対して名鉄からの車両奇数番号車両制御電動車新宿側に向いていた。また、回路機器固定方式も、当初より小田急入線した車両名鉄からの車両では異なっていた。車両向きについては方向転換の上制御電動車小田原側に向くように統一された。 なお、1600形とともに復興整備車として看板掲げ使用されたこともある。1948年には1600形とともにノンストップ特急車種候補挙がり同年8月13日デハ1805とクハ1853で新宿 - 小田原100分での試運転行い車両性能的には問題なかったが、大柄ばね下重量も重い車両だったため、軌道弱さ起因する動揺大きく実際に運行につくことはなかった。 桜木町事故発生後1951年6月から、車体強化あわせて、2両の間の貫通路拡幅の上で幌で連結する改修が行なわれた。これと同じ年に、欠番となっていた車両番号埋めるように改番が行なわれ、デハ1809 - 1813クハ1859 - 1863は元の車両番号から3を減じた番号変更された。また、1953年には3段窓を2段窓に改造その後天井板設置室内灯のグローブ新設など、戦時設計のままであった箇所改修が行なわれた。ただし、国鉄63形早期埋められ前面上部通風器は、1800形ではそのまま存置された。 また、新製割り当て受けた車両以外にも、20m車が2両入線した。まず、1949年1月に下十条事故廃車となっていたモハ60050を原姿復旧した車両1950年7月入線し、1600形制御車クハ1661として運用開始された。クハ1661は当初前面貫通扉残したままであったが、連結面側の貫通路は1,100mm広幅貫通路となっていた。ただし、1600形との運用時には、広幅貫通路締め切りとしていた。その後事故廃車になったモハ42004を原姿復旧した車両デハ1821として1952年12月入線した。この車両元来両運転台付きの2扉クロスシート車であったが、戦時中1944年7月31日付で4扉ロングシート車に改造されており、小田急での復旧時に片運転台化、正面は非貫通3枚窓となり、連結面側の貫通路クハ1661と同様に1,100mm広幅貫通路となった。この時にクハ1661をクハ1871に改番した上で正面を非貫通3枚窓に改造デハ1821と編成を組むようになった。 なお、デハ1821(国鉄モハ42004)は、国鉄42系電車のうち、唯一私鉄運用され車両で、1945年6月8日神崎駅付近漏電事故起こして全焼、車籍上は1947年10月22日付で廃車となり、公式には富士車輌戦災復旧客車オハ71 133として復旧したことになっている。だが、実際に書類戦災廃車1946年11月28日付)となったクハ85023(旧クハ58023の4扉化改造車)と振り替え小田急払い下げとなったものであった。 これらの車両は、戦後の混乱期輸送力確保には大きく貢献し、「どんなにホームが混んでいても、1800形が来るとすっかりさらっていった」と評された。乗客からも、小型車3両編成よりは1800形2両編成の方が喜ばれたが、中には桜木町事故記憶からか「63形」として敬遠する乗客もいたという。また、既述のとおり重く強力モーター備えた形式線路にかかる負担大きく保線部門からは「線路を壊す車両」として嫌われていた。

※この「入線当初」の解説は、「小田急1800形電車」の解説の一部です。
「入線当初」を含む「小田急1800形電車」の記事については、「小田急1800形電車」の概要を参照ください。

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