高松琴平電鉄へ譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 13:01 UTC 版)
「東濃鉄道モハ100形電車」の記事における「高松琴平電鉄へ譲渡」の解説
廃線後1年近く経過したのち、モハ100形・クハ200形5両は全車高松琴平電鉄(琴電)へ譲渡されることとなった。営業休止後から通算すると約3年間もの長きにわたって屋外で留置されていたことから、各車とも荒廃が進み状態は劣悪であったものの、当時琴電は同社長尾線の架線電圧1,500V昇圧を間近に控えており、昇圧対応が不可能な車両について早急に代替を行なう必要に迫られていたことから同5両の購入に踏み切ったとされる。琴電入線後はモハ100形が70形71 - 73、クハ200形が80形81・82とそれぞれ改称・改番された。 導入に際しては、琴電の各路線は東濃鉄道とは異なり標準軌であったことから改軌の必要が生じたが、71・72(モハ101・102)の装備する台車は一体鋳鋼製であったことから、切り継ぎによる台車枠の拡幅が不可能であった。そのため従来装備していた台車は廃棄され、71は汽車製造製形鋼組立型釣り合い梁式台車MT-100Bに、72は住友製鋼所製鋳鋼組立型釣り合い梁式台車KS-30Lにそれぞれ換装された。また、73(モハ103)および81・82(クハ201・202)についても台車が振り替えられ、同3両は形鋼組立型釣り合い梁式台車BW-78-25-AAを装備した。 その他、主制御器はHL式へ、主電動機は71・72がドイツ・アルゲマイネ社製USL-323Bへ、73が東洋電機製造製TDK-596Aへそれぞれ換装されるなど、主要機器については東濃鉄道在籍当時の原形をほぼ失った形となった。 一方、車体周りに関しては、車体塗装の琴電標準色への塗り替えおよび71・72の客用扉下部のステップが撤去された程度の小変化に留まり、原形を色濃く残していた。
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高松琴平電鉄へ譲渡
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「豊川鉄道クハ100形電車」の記事における「高松琴平電鉄へ譲渡」の解説
高松琴平電鉄(琴電)では輸送力増強が急務であった琴平線の車両増備を目して、1962年(昭和37年)11月に本形式の払い下げを受け、8000形810・820と改称・改番の上で導入した。竣工は810(元クハ5610)が同年12月、820(元クハ5611)が翌1963年(昭和38年)3月である。導入に際しては車体塗装のクリームとブラウンの琴電標準色への変更、ならびに琴電の保有する路線が標準軌であることに伴う台車の改軌、主幹制御器(マスコン)の交換・間接非自動制御 (HL) 化、制動装置のSME非常弁付直通空気制動化を施工している。なお導入当初、車両の向きは2両とも高松築港向きとされた。
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