条約成立後の経過とは? わかりやすく解説

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条約成立後の経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:03 UTC 版)

満洲還付条約」の記事における「条約成立後の経過」の解説

上記のような経緯経て成立した満洲還付条約であったが、日本政府強くこれを支持し交渉あたった清国慶親王に対して速やかな調印すすめたイギリス政府は、この内であってもロシア付与される権益過大なのであるとして露清両国に再修正求め日本の姿勢にはいささかの不満がある旨を表明した。しかし、日本の外務大臣小村寿太郎は、若干の不満があるとしても満洲からのロシア軍可及的速やか撤退こそがまずは肝要であるとの見解示したロシアによる満洲占領恒久化日本の安全保障にとっては死活左右する大問題だったのである日本マスメディアも『日本』『東京朝日新聞』『毎日新聞』『東京日日新聞』などをはじめ1902年4月報道満洲還付条約成立歓迎し、そのために日英同盟果たした役割評価する論評掲げた対外硬はじめ対露強硬論唱える広範な人士集めた近衛文麿らの国民同盟会は、日英同盟満洲還付条約成立をもって4月27日解散したロシアは、調印日から6か月後の1902年10月8日には規定どおり第1次撤兵完了した。ただし、これはロシア正規軍の白い肩章と襟を、財務省管掌する鉄道守備隊緑色のものに変えたにすぎなかった。すなわち、兵力都市域から鉄道区域移動させたにすぎず、ロシアにあっては正規軍鉄道守備隊制服違いのないことがここでは利用されのであるとはいえこのまま条約履行されていれば日英同盟によって東アジアの平和を護持する小村外相らの構想現実のものとなるはずであった。ただし、そうではあっても満洲ロシア勢力下にあるのは周知のことであり、日本としてはロシア満洲独占回避する手立てが必要であった。それが、他の列強とともに北京議定書によって得られた、清国との日清通商航海条約改訂交渉であり、そこでは内河航行事業の拡張満洲地域における開市開港協議された。日本奉天鴨緑江入口にあたる大東溝(現、東港市)の開市開港求めアメリカ合衆国もまた同様の協議においてハルビンと大孤山(現、東港市)の開市開港求めたここにおいて日・米は共通の立場立っていた。 1903年1月13日付の『萬朝報』では、第1次撤兵は「撤退したりと称する軍隊僅かに服装を更たるのみ」と記し軍服改めただけで実際に撤兵なされているわけではない報じている。そして2月16日記事では満洲重要都市門戸開放について「均霑きんてん)」の語を用い第2次撤兵期限に際してロシア表面上は撤兵するかのように偽装するが、最終的に撤兵しないのではないか解説し日本政府清国対し追加通商航海条約交渉において満洲開放認めさせようとしている事実伝えている。『萬朝報』の立場は、満洲門戸開放要求方向ロシア軍満洲撤兵要求するというものであった結局ロシアは、1903年4月8日期限とする第2次撤兵については、これを履行しなかった。小村外相は、通商航海条約改定に際しては、英米両国との強い連携指示していたが、これは、ロシア側からすればロシア満洲より撤退するに応じて日米など他国勢力進出してくるかのようにみえ、ロシア内の満洲撤兵反対派勢いづかせることにもつながっていた。陸軍大臣アレクセイ・クロパトキンはもともと、ロシア勢力圏保障されるまではロシア軍満洲駐留継続すべきであるという意見であり、セルゲイ・ウィッテ蔵相ウラジーミル・ラムスドルフ外相とは対立していた。期限日の4月8日前にして、3月には牛荘撤兵準備進んでいるという情報があった一方で遼陽から鴨緑江方面転進しているという噂もあり、また、4月にはロシア兵鴨緑江岸に到着したとの情報流れた4月8日当日奉天ロシア軍はいったんは停車場向けて行軍開始したものの結局各自兵営帰ったウィッテラムスドルフ結局北満洲占領継続やむをえないという見解落ち着くほかなかった。このときウィッテ最優先考えたのは、門戸開放唱えてロシア満洲占有厳しく批判するアメリカ日英同盟陣営加わらないことであった期限10日をすぎた4月18日ロシア撤兵求め清国政府対し第2次撤兵条件として新たに7項目から成る要求突き付けた。それは、 ロシア清国返還するいかなる土地も、とくに営口および遼河水域はどんな事情があっても他国売り渡したり、貸与してならないこと モンゴルにおける現在の政治組織変更しないこと 清国ロシア予告ぬきで満洲新規に開市開港をおこなわないこと。外国領事駐在許さないこと 直隷省を含む北部地方清朝お雇い外国人権力を及ばせないこと。どうしても必要な場合ロシア人管理のもと特別の部局設置すること。鉱山事務のため外国人雇用する場合も、満洲モンゴルについてはロシア人技師委ねること ロシア北京営口間に架設している電信線は盛京省ロシア有する既存電信線と連結のうえ維持すること 営口税関ロシア返還してからも収税金は露清銀行預け入れること 満洲占領中、ロシア人ロシア企業正当に獲得した諸権利撤兵後も有効とすること。営口検疫局を設置し税関長医師ロシア人雇用すること とい条件であった。この要求には、満洲モンゴルのどんな権益であってもロシア排他的に独占しようとする姿勢明白にあらわれており、開市開港場設定や内河航行権利など比較穏やかな方法満洲参入しようという日本の手法とは正面から対立するものであった小村外相は、このロシア要求英米両国通告し日・英・米三国の強い抗議に対してロシア若干譲歩方向性示した。ただし、英米それ以上深く追及することはなく、ロシア満洲撤兵静観するという姿勢示した4月21日日本国内では伊藤博文山縣有朋桂太郎小村寿太郎の4者による会談がもたれ、6月には御前会議開かれた。しかし、ロシア軍備をむしろ増強させて安東県方面南下させ、5月に入ると鴨緑江森林伐採利用して清韓国境をこえ、朝鮮半島北部龍岩浦で土地買収開始した龍岩浦事件)。満洲撤兵不履行ロシア鴨緑江進出とは、ともに日本にとって危機的状況受け止められた。 ロシア国内では、日本との戦争避けるために慎重な極東政策支持していたウィッテ蔵相ラムスドルフ外相らの発言権弱まり極東における軍備増強唱える近衛士官アレクサンドル・ベゾブラーゾフ中心とする「ベゾブラーゾフの徒党」が皇帝ニコライ2世信任得て勢力拡大させた。1903年初めに極東訪れたベゾブラーゾフは鴨緑江森林利権着目し清国駐在武官のヴォーガクの考え影響されウィッテラムスドルフクロパトキン三大臣への挑戦考えようになったという。専制国家である帝政ロシアでは、一度得た利権手放すということは難しかった1903年5月14日清国ロシア要求拒否すると、6日後の5月20日(露暦4月13日)、帝政ロシア大臣たちは満洲北部占領継続するという結論至り満洲還付条約破棄決定した日本国内では、満洲撤兵予定通りなされず、かえってロシア軍備増強され、さらに撤兵条約反故にされるに至ってロシア対する不安が憎悪敵意変わり6月には七博士意見書提出8月には対露同志会結成など開戦論の動きにわかに顕著になった。マスメディアの報道にも楽観論消え日英同盟無効果論があらわれたり、ロシアへ不信感煽るようなユダヤ人虐殺報道なされるようになっていた。清国でも、ロシア対す非難の声が高まった日本留学していた中国人留学生たちのあいだでロシア対す抵抗組織つくられ、「拒俄義勇隊」と名づけられた。 6月13日、ベゾブラーゾフは鴨緑江木材会社設立した8月12日には、皇帝専断により、蔵相陸相および外相預かり知らぬところで旅順ポート・アーサー)に極東総督府設置され、「ベゾブラーゾフの徒党」に属すエヴゲーニイ・アレクセーエフ関東州駐留軍司令官(兼ロシア太平洋艦隊司令長官)が極東総督ロシア語版)に任じられた。8月28日ウィッテ失脚すると、ベゾブラーゾフは日本との戦争を防ぐためには、さらなる極東軍備の拡張が必要であると唱えたが、クロパトキン陸軍大臣はこれに反対し、皇帝はここではクロパトキン支持したニコライ2世自身日本との戦争は望まなかったが、その無定見さによりロシア極東政策混乱の度を深めた1903年10月8日は本来は第3次撤兵期限であったが、ロシアはそれを無視して奉天城を占領した日露戦争危機はすぐ目の前に迫っていたのである

※この「条約成立後の経過」の解説は、「満洲還付条約」の解説の一部です。
「条約成立後の経過」を含む「満洲還付条約」の記事については、「満洲還付条約」の概要を参照ください。

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