条約履行とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 08:42 UTC 版)
「サン=ジェルマン=アン=レー条約 (1679年)」の記事における「条約履行とその後」の解説
1679年12月、ブランデンブルクが最後まで占拠したシュテティーンがスウェーデンに返還された。スコーネ戦争中にリューゲン島を占領したデンマークは単独でスウェーデンと講和した。1679年9月26日のルンド条約により、デンマークは10月20日までにリューゲン島をスウェーデンに返還することを約束した 同1679年、ブランデンブルクはフランスと秘密同盟を締結した。フランスはブランデンブルクの主権を10年間尊重するほか、毎年10万リーブルを支払う代わりフランス軍がブランデンブルクの領土の自由通行権を得た。この同盟が締結された理由はブランデンブルク選帝侯が皇帝に失望したことにあったが、その原因は皇帝がサン=ジェルマン=アン=レー条約の締結に同意したことと、皇帝がブランデンブルクの強大化に反対したことにあった。フリードリヒ・ヴィルヘルムはフランスの拡張主義と彼が「フランスのくびき」と呼んだものには気づいていたが、彼はそれでも「神の加護と(フランス)王の権力のみが我らに安全をもたらす」と結論付け、神聖ローマ帝国と皇帝が「われらを敵の前に無抵抗に晒す」とした。しかし、ブランデンブルクは1685年には新しい反仏同盟の締結を秘密裏に模索し始めた。
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