サン=ジェルマン=アン=レー条約 (曖昧さ回避)
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サン=ジェルマン=アン=レー条約(サン=ジェルマン=アン=レーじょうやく)は、サン=ジェルマン=アン=レーのサン=ジェルマン=アン=レー城で締結された条約であるが、一般にはやや省略してサン=ジェルマン条約と呼ぶことが多い。以下が存在する。
- サン・ジェルマン和議:1570年8月8日に第3次ユグノー戦争を終結させた条約。
- サン=ジェルマン条約 (1632年):1632年3月29日にケベックをイングランド王国からフランス王国に返還させた条約。
- サン=ジェルマン条約 (1679年):1679年6月29日にスウェーデン・ブランデンブルク戦争を終結させた条約。
- サン=ジェルマン条約:1919年9月10日に連合国とオーストリア第一共和国の間に結ばれた第一次世界大戦の終戦条約。
サン=ジェルマン=アン=レー条約
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「サン=ジェルマン=アン=レー」の記事における「サン=ジェルマン=アン=レー条約」の解説
フランスの歴史上、この名で呼ばれる条約は多い。以下は全て、サン=ジェルマン=アン=レー条約(Traité de Saint-Germain-en-Laye)と呼ばれるものである。 1624年9月5日:フランスとイギリスの間で締結された。 1632年3月29日:フランスとイギリスの間で締結された。 1635年10月26、27日:フランスとベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマルの間で結ばれた。 1679年6月29日:フランスとブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムとの間で締結された。 1679年10月25日:同じくフランスとブランデンブルク選帝侯との間で締結された。 1919年9月10日:第一次世界大戦後、連合国側とオーストリアの間で結ばれた条約。日本では「サン=ジェルマン条約」とも呼ばれる。
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