対上陸部隊とは? わかりやすく解説

対上陸部隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 10:02 UTC 版)

ダウンフォール作戦」の記事における「対上陸部隊」の解説

日本軍は対上陸部隊への戦術としてタラワの戦いなど、上陸部隊弱点である海上もしくは水際付近にいるときに戦力集中して叩くという「水際配置水際撃滅主義」を採用していた。タラワ島ではこの方針によってアメリカ軍海兵隊大打撃与えたが、サイパンの戦いにおいては想定上の激し艦砲射撃加え日本軍陣地構築が不十分であったことから、水際陣地大部分撃破され、その後反撃戦力逐次投入という失敗侵して短期間のうちに大きな損害を被ることとなった。このサイパン島敗戦日本軍大きな衝撃与えて、のちの島嶼防衛方針大きく変更させた。その後作成されたのが1944年8月19日参謀総長名で示達された「島嶼守備要領」であり、この要領によって日本軍の対上陸防衛は、従来の「水際配置水際撃滅主義」から、海岸線から後退した要地堅固な陣地構築し上陸軍を引き込んでから叩くという「後退配備沿岸撃滅主義」へと大きく変更されることとなった本土決戦についても、この方針は基本的に維持されて、1945年3月示達された「対上陸作戦に関する統帥参考書」や「国土築城実施要領」において、陣地海岸線構築するではなく後退した要地可能な限り堅固に設置し、その陣地籠る部隊激し抵抗可能な限り上陸軍の橋頭保構築妨害し、そこを機動力持った部隊攻撃をかけて上陸軍を殲滅するという「後退配備沿岸撃滅主義」が採用された。その作戦方針に基づき第一次兵備陣地防衛戦を戦う沿岸配備師団師団100番台師団)と第二次兵備戦車師団常備師団反撃を行う機動打撃師団師団200番台師団)が根こそぎ動員編成された。 沿岸配備師団編成 歩兵連隊守備任務歩兵連隊反撃任務師団砲兵隊師団速射砲兵員3,850 3,207擲弾筒158 111 軽機関銃81 54 重機関銃54 24 短機関銃72 12 歩兵砲18 速射砲4 12 山砲 8 野砲 10 噴進砲 36 迫撃砲 12歩兵連隊守備任務)は3個連隊歩兵連隊反撃任務)と併せて1個師団歩兵4個連隊編成 機動打撃師団 歩兵連隊迫撃連隊砲連隊師団速射砲師団機関砲隊兵員4,368擲弾筒112 軽機関銃108 重機関銃48 短機関銃96 速射砲 12 山砲4 野砲 60 迫撃砲16 36 高射機関砲 9 ※歩兵連隊は3個連隊編成 沿岸配備師団装備貧弱であり、また、これまで二十代から三十代健常男子多くは既に徴兵されており、動員されるのは四十代老兵や、徴兵何らかの身体的問題抱えている者も多かったので、その戦闘力常備師団比較する低く水際上陸軍の足止めをするという役割相まってはりつけ師団」や「かかし師団」などと呼ばれていた。同じ根こそぎ動員師団でも、常備師団戦車師団上陸軍への反撃を行う機動打撃師団は、沿岸配備師団比較する装備充実していた。なりふり構わない戦力増強策で日本本土には54個の師団展開することとなったが、大半はこの根こそぎ動員編成され師団であり、既設師団このうち12師団に過ぎなかった。 前述通り当時日本軍装備調達苦慮していたため、根こそぎ動員動員され師団装備は不十分であった例え沿岸配備師団静岡の第143師団老兵若年兵がほとんどで、兵器はおろか軍靴さえも行きわたらず銃剣は全兵力50%、火砲70%、小銃80%、通信機30%、機銃30%強、弾薬糧食は半会戦分に過ぎなかった[要出典]。装備可能な限り補充されるはずの第2次兵備機動打撃師団(第214師団)でさえ連隊砲大隊砲に欠け小銃二人であった[要出典]。特に第三次兵備編成され師団装備不足しており、第53軍第316師団にように、1個小隊重機関銃2丁に小銃1516丁しか配備されないなど、小火器充足率は約40%、重機関銃迫撃砲充足率は約50%、火砲も未充足というものであった本土決戦日本軍装備象徴的に語られるのは、この第3次兵備編成され師団で、兵器の不足に対応するため、木製突撃棒やなかには中世の弩を自作する兵士もいたが、これはあくまでも戦力不足の第3次兵備師団の話が中心で、本土決戦時点日本軍平均的な状況ではない。昭和天皇東久邇盛厚王から「海岸防備のみならず決戦師団武器十分に補給されず、敵の落した爆弾利用してシャベル作る有様である」との報告受けてこれでは戦争不可能と云ふ事を確認した」と語っており、決戦師団装備充足率決して十分ではなかった。本土決戦前にあらゆる兵器戦場投入しようとするのは、第二次世界大戦全世界的に見られ状況であり、ナチスドイツの上陸の危機迫ったイギリスにおいても、チャーチル自らが考案したとされるホームガードパイクという戦場投入される予定であった 戦力増強並行して詳細な作戦検討進められた。ペリリューの戦い硫黄島の戦いなどでは有効であった後退配備沿岸撃滅主義方針が、レイテ島の戦いにおいてはアメリカ軍容易く上陸許してしまうなど、かえって作戦方針の変更混乱もたらした戦訓報告された。また、作戦方針変更での成功例と言われる硫黄島の戦い戦訓分析したり、また沖縄戦から生還した32作戦参謀森脇弘二中尉からの報告より、「水際陣地による水際撃滅主義艦砲射撃により成立しない」とする分析は必ずしも正しくなく、徹底して陣地構築した硫黄島沖縄では艦砲射撃による損害は、サイパン島比較する軽微であったことや、逆にペリリュー島硫黄島では艦砲射撃を耐えた水際陣地が「砲兵火力をもって果敢な反撃加え、敵に上陸初動に相当の打撃与えたという事実もあり、対策が不十分であったサイパンにおける戦訓重視するあまり、「水際に於ける敵の必然的弱点」を見逃してしまうといった愚を避けて上陸軍が最も弱いときに最大限打撃与えるとする、「水際撃滅方式復活することとなった。これは、サイパン島失敗した水際撃滅大きく異なり、常に数倍の大兵力を相手に戦わざる得ない孤島防衛戦とは違って本土決戦においては、敵に匹敵する大兵をもって連続不断反撃」を行うことができるという利点もあった。方針変更主導した大本営第1部長宮崎周一中将は「従来どんなに切望して達成しえなかった「敵上陸直後連続不断反撃」が今度こそ成熟できる」と意気込んでいた。 この方転換上記通り戦訓分析という理由のほかに、現実的な問題として、沖縄戦における反撃の失敗様に火力圧倒的に劣る日本軍では上陸軍が戦力整え内陸部での反撃成功おぼつかないということと、根こそぎ動員でかき集めた兵士複雑な防御戦闘は困難であり、ひたすら上陸直後の敵に対して突撃するという単純明快戦術の方がまだ成功確率が高いというという判断もあったとされるまた、今までの上陸軍足止め大きな出血強いて時間稼ぎをするといった島嶼防衛とはそもそも作戦目的異なりアメリカ軍一大決戦挑んで局地的に勝利して有利な条件講和持ち込むという「一撃講和」が作戦目的であって守っているだけではその作戦目的達成できないという日本側の事情もあった。 しかし、アメリカ軍侵攻直前作戦方針大転換は、防衛準備進めていた日本軍少なからず混乱もたらせ、既に陣地構築完成させつつあった九州方面部隊作戦変更拒否し従来の「後退配備沿岸撃滅主義」で作戦準備続けているなど、全軍統一方針とはならなかった。参謀本部も本決戦備えて現地視察頻繁に行ったが、その報告概ね築城物資訓練後方補給などいずれも不十分であるのみならず決戦気風にも欠けているというもので、参謀本部実際に厳し現状認識していた。軍の報告受けた昭和天皇も「従来勝利獲得自信ありと聞くも、計画と実行一致しないこと、防備並びに兵器の不足の現状鑑みれば、機械力を誇る米英軍に対す勝利見込みはないことを挙げられる」との認識示した

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