日本側の事情とは? わかりやすく解説

日本側の事情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:31 UTC 版)

ペリリューの戦い」の記事における「日本側の事情」の解説

パラオ第一次世界大戦後国際連盟による日本の委任統治領となり、1922年南洋庁コロール島設置され内南洋行政の中心となっていた。 日本人パラオ米食習慣定着させ、なすやきゅうりなど野菜サトウキビパイナップルなどの農業持ち込みマグロ缶詰カツオ節などの工場作って雇用創出した。道路舗装し島々を結ぶをかけ、電気通し電話引いた南洋興発などの企業進出し水産業リン鉱石採掘業小規模なパイナップル農業企業化されていて、1943年にはパラオ在住者33,000人おり、その内の7割は日本本土沖縄日本統治する朝鮮台湾などから移り住んできた人達であった国際連盟規約に基づく委任統治領軍備制限により、パラオ要塞など軍事的な根拠地構築することは禁止されて、パラオ本島バベルダオブ島)に民生用として小規模な飛行場があるだけだったが、日本国際連盟脱退後はパラオ重要な軍事拠点ひとつとして整備進められた。1937年パラオ本島飛行場拡張ペリリュー島飛行場新規建設開始され1941年太平洋戦争開戦時ペリリュー島には1200m滑走路2本が交差して上空からは誘導路含め 4 の字に見え飛行場完成していた。 そしてペリリュー島300m北隣のカドブス島にも滑走路1本が造られ両島の間には長い桟橋伸びていてとして渡ることができた(戦闘破壊から免れたコンクリート製橋脚一部2010年現在でも遺されている)。1943年9月30日絶対国防圏設定10月11日付「作戦航空基地ニ関スル陸海軍中央協定」により、防衛体制の整備進められていった内南洋での日本海軍根拠地に対してアメリカ機動部隊は、1944年2月17日トラックを、同年3月30日にはパラオ空襲し、その機能喪失させた。トラック空襲を受ける1週間前に連合艦隊主力パラオへ向け移動していたため無事だったが、パラオ空襲されたことで、3月31日古賀峯一連合艦隊司令長官連合艦隊司令部ミンダナオ島ダバオ移そうとして海軍乙事件起きてしまう。 中部太平洋アメリカ軍侵攻ルート地図上にたどればタラワマーシャルトラックとほぼ一直線並んでおり、その先にはパラオがあった。大本営はその状況から、アメリカ軍パラオ経由フィリピンに向かうものと判断し、西カロリン西部ニューギニアフィリピン南部結んだ三角地帯の防備強化してアメリカ軍反撃加え構想練り上げた。 それまで大艦巨砲主義に基づく決戦論者である古賀司令長官連合艦隊では新Z号作戦策定しており、マリアナ諸島〜西カロリン西部ニューギニア邀撃帯を設けてニミッツ軍とマッカーサー軍の二方面で進攻してくるアメリカ軍迎え撃とうとしていた。しかし海軍乙事件での連合艦隊司令部壊滅により、二方向の予想アメリカ軍進攻ルート合流してフィリピンに向かうものとい一方的な想定と、帯よりも三角地帯で迎撃する方が艦隊決戦を行うには都合が良いという主観的判断で、作戦構想見直され軍令部中心となって「あ号」作戦として決戦構想つくられた。その三角地帯の内側パラオはあり、グアムサイパン後方支援基地としても、パラオ当時日本軍にとって戦略的価値急浮上していた。 日本陸軍絶対国防圏を守るため、中部太平洋方面防衛第31軍作戦地域パラオ含め関東軍最強呼ばれてマリアナ諸島への配備予定していた第14師団照兵団)を1944年4月東松5号船団によってパラオ派遣した詳細は「松輸送#東松5号船団」を参照 第14師団麾下水戸歩兵第2連隊中核となってペリリュー島守備に当たらせ、パラオ本島マラカル島には状況に応じて機動的に運用できる予備兵力として高崎歩兵第15連隊基幹とした兵力配置した。彼らは大本営よりアメリカ軍戦法についての情報伝達を受け、水際環礁内の浅瀬乱杭打ち上陸用舟艇通路なりそう水際には敵が上陸する寸前敷設できるよう機雷配備するとともに兵士訓練し、またサンゴ礁出来たコンクリート並に硬い地質存在する500以上におよぶといわれる洞窟には縦横坑道掘り要塞化するなど、持久戦備えた強固な陣地築きアメリカ軍の上陸備えたアメリカ軍マリアナ侵攻すると、ペリリューには更に第14師団戦車隊ならび歩兵第15連隊の1個大隊第3大隊)増援された。 ペリリューの戦いにおける日本軍戦闘方針は、情報参謀堀栄三作成した敵軍戦法早わかり』の内容元に計画されたものであるという(昭和19年3月第14師団対し大連にて、米軍戦法その他について堀から直接説明の場が設けられた。中川州男大佐はこの場で熱心にメモ取り時にはみずから質問していたという)。また、大本営サイパン島から報告され戦訓元に1944年7月20日戦訓特報28号発行し全軍通知したが、ペリリュー島陣地構築にはこの通知参考にされている。 砲爆撃対策対戦車戦闘対米戦の運命決する大項目である 戦車には砲撃肉弾戦が有利 縦深陣地絶対に必要、複郭陣地準備必要 熾烈な爆撃特に艦砲射撃対し築城により兵力資材をなるべく貯存して、敵に近迫して白兵戦持ち込む訓練を行う 砲爆撃により、幹部死傷者増え指揮組織崩壊した時に対す事前対策、特に中隊長指揮官統率力強化 戦況切迫してきた際は直接戦闘関係ない土木作業(飛行場設営など)に無用な人力はかけず、陣地構築集中する日本海軍も、西カロリンアメリカ機動部隊1944年5月末から6月中旬ごろに進攻してくると予想して、これに決戦挑み撃破し戦局の転換を図るとした「あ号」作戦5月20日発令新設第一機動艦隊空母9隻、搭載機数約440機)と基地航空隊第一航空艦隊(約650機)を軸に決戦必勝期しペリリュー島飛行場にも第61航空戦隊の、零式艦上戦闘機(第263海軍航空隊第343海軍航空隊)、月光(第321海軍航空隊)、彗星(第121海軍航空隊と第523海軍航空隊)、一式陸上攻撃機(第761海軍航空隊)が分遣された。 日本側の予想沿うように5月27日西部ニューギニア沖合ビアク島アメリカ軍上陸したので、日本軍渾作戦発動し海軍第一航空艦隊大部分ビアク島周辺移動合わせて大和、武蔵戦艦部隊送ってアメリカ上陸支援艦隊を撃退しようとした。 ところが大本営予想外れてビアク島の戦い続いているにも拘らずアメリカ軍は、6月11日マリアナ来襲6月15日サイパン島上陸してきた。ビアク島救援どころではなくなった日本海軍は、ビアク島空域作戦をしていた第一航空艦隊マリアナ呼び戻してアメリカ軍迎撃させると共に想定とは違う戦場となるマリアナ向けて第一機動艦隊出撃させ、ビアク島到達前に渾作戦中止となった戦艦部隊途中で合流させてマリアナ沖海戦挑んだ大敗三角地帯で米軍反撃加えるという作戦構想崩壊してしまった。航空反撃行おうにも、ラバウルから基地航空隊は既に引き揚げられ、トラックパラオ航空戦力壊滅していたため、この時点ではパラオ防衛戦略的価値は、単にアメリカ軍フィリピン侵攻足がかり利用されるのを防ぐという意味しなくなってしまっていた。

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