日本側の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 10:05 UTC 版)
日本側で偽使を取り締まる立場にあったのは室町幕府であった。しかし室町幕府は弱体な政権であり、宗氏や大内氏といった地方勢力が独自に行っていた朝鮮通交を制限するどころか、彼等が幕府の名を騙り勝手な通交を展開しても懲罰を加えることすら叶わなかった。僅かに足利義政は牙符制を導入して日本国王使及び王城大臣使から偽使の排除を行ったが、明応の政変により牙符が流出したことでそれも潰える。 また幕府が外交業務を京都禅宗五山派の僧侶に委託していたことも偽使勢力に付け込まれる要因となった。中世東アジアにおいて外交文書は漢文で作成されるものであり、書式その他煩雑な礼儀作法が存在し、外交文書作成には高度な教養を必要としていた。また使節として派遣される人間も、漢文による筆談や漢詩の交歓などをこなさなければならず、同様の事が言えた。そのため室町幕府は国書の作成から朝鮮に赴く使節の編成まで五山派僧侶に頼りきっていた。こうしたことは偽使派遣の障壁ともなったが、一方で五山僧を抱き込むことで正規の使節の持つ国書を改竄し、偽使勢力に好都合な交渉を行わせることを可能とならしめていた。 また、幕府以外の諸勢力の通交権についても偽使化しやすい状況にあった。日本側の諸勢力の通交の多くは博多・対馬・薩摩商人などの中間媒介者が請負う形で行われていた。そのため通交名義人が死亡あるいは没落すると、中間媒介者が名義人の死亡を隠して通交を続けるなど偽使化しやすい状況にあった。
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