日本側の作戦準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:25 UTC 版)
「ラエ・サラモアへの空襲」の記事における「日本側の作戦準備」の解説
当初の予定では、ラエおよびサラモアの攻略は3月3日に予定されていた。具体的には、2月に入ってから進められていたニューブリテン島南端のガスマタおよびスルミの攻略戦(2月15日、スルミ攻略部隊の編成解除)が終わった2月13日から準備が始まり(トラック泊地にて、第四艦隊〈旗艦鹿島〉と南海支隊参謀の会議を開始)、2月16日には作戦名をSR作戦と呼称して、上陸日も3月3日に設定された。敵情としては、航空活動は活発ではないが分散移動しており根絶が難しいこと、陸上部隊の状況はよくわからない、と判断される。そして、ラエとサラモアを早急に占領したのちは、ただちに航空基地を設定してポートモレスビー方面への圧力とすることが作戦目的とされた。SR攻略部隊指揮官は第六水雷戦隊司令官の梶岡定道少将が定められ、梶岡は2月20日に攻略部隊命令を発するも、まさに同じ2月20日に前述の第11任務部隊(空母レキシントン)の接近があって日本海軍は迎撃に追われ、作戦は延期された(ニューギニア沖海戦)。25日にあらためて協議をおこない(南洋部隊電令作第109号)、3月8日の上陸を予定した。 南洋部隊指揮官井上成美第四艦隊司令長官(旗艦「鹿島」)麾下にある第六水雷戦隊(司令官梶岡定道少将)のうち、旗艦「夕張」は作戦支援、第29駆逐隊(「追風」、「朝凪」、「夕凪」)は陸軍輸送船「横浜丸」(日本郵船、6,143トン)および「ちゃいな丸」(川崎汽船、5,869トン)を護衛してサラモアへ、第三十駆逐隊のうち「睦月」と「弥生」は「津軽」艦長稲垣義龝大佐指揮の下で特設巡洋艦「金剛丸」(国際汽船、8,624トン)、特設敷設艦「天洋丸」(東洋汽船、6,843トン)および特設運送船「黄海丸」(嶋谷汽船、3,871トン)を護衛してラエに向かうこととなり、「望月」は特設水上機母艦「聖川丸」(川崎汽船、6,862トン)の護衛に回った。「金剛丸」と「天洋丸」は、ラバウル警備隊から抽出された陸戦部隊560名と高射砲隊、ラエに配備される基地員800名や需品の輸送にもあたった。なお、当初は攻略部隊に名を連ねていた特設巡洋艦「金龍丸」(国際汽船、9,309 トン)は、スルミ攻略戦で損傷したためラバウル待機となった。「横浜丸」と「ちゃいな丸」に乗船する陸軍部隊は、南海支隊のうち堀江正陸軍少佐(歩兵第144連隊第2大隊長)指揮の歩兵一個大隊、山砲一個中隊を主軸とした約2,000名で構成されていた。堀江少佐は2月17日付で南海支隊長堀井富太郎陸軍少将より命令を受領し、作戦準備を進めた。堀江少佐は2月28日に大隊命令を下達し、3月2日に第六水雷戦隊と南海支隊の間で協定がむすばれた。 南洋部隊麾下の協力部隊は、支援部隊・航空部隊・R方面防備部隊から成る。支援部隊は第六戦隊司令官五藤存知少将を指揮官とし、第六戦隊(青葉、加古、衣笠、古鷹)、第十八戦隊(天龍、龍田)、第23駆逐隊(菊月、卯月、夕月)で編成された。 ビスマルク諸島方面防備部隊(R方面防備部隊)は第8特別根拠地隊司令官金澤正夫少将を指揮官とし、海軍陸戦隊や警備部隊、測量艦宗谷(第四測量隊)などで編成されていた。 航空部隊は第二十四航空戦隊司令官後藤英次少将を指揮官として、第四航空隊と水上機母艦神威で編成されていた。一式陸攻を装備した第四航空隊はニューギニア沖海戦で壊滅的打撃を受けていたが、後退して再建する余裕もなく、SR攻略作戦に投入される。そこで第二十一航空戦隊隷下の第一航空隊(九六式陸上攻撃機)が臨時に二四航戦の指揮下に入り、本作戦に参加した。また空母祥鳳がラバウルに輸送してきた零式艦上戦闘機が、陸攻部隊の護衛として随伴することになった。
※この「日本側の作戦準備」の解説は、「ラエ・サラモアへの空襲」の解説の一部です。
「日本側の作戦準備」を含む「ラエ・サラモアへの空襲」の記事については、「ラエ・サラモアへの空襲」の概要を参照ください。
- 日本側の作戦準備のページへのリンク