日本側との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:44 UTC 版)
台風の猛威を友鶴事件、第四艦隊事件で経験した日本海軍は安全対策を施したために太平洋戦争中に台風による軍用艦艇の喪失は一度も起きなかった。実際、第7次多号作戦で損傷して本土へ帰還途中の駆逐艦・竹が同台風に遭遇したが無事生還している。 修理を終えた米艦隊は次作戦支援のため1944年12月30日にウルシーを出撃した。だがその前の12月24日から26日にかけて日本海軍はミンドロ島夜襲(礼号作戦)を行い、この時期としては少ない損害で作戦を成功させている。上述の通り、この時フィリピン沖に米機動部隊はいなかったのである。 1944年10月のレイテ沖海戦から、日本軍は航空機による敵艦船への体当たり攻撃を組織的に開始しており、その攻撃隊にかつて日本を外敵の侵略から救った台風の名前を冠していた。
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