日本側の戦果誤認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 03:05 UTC 版)
「ギルバート諸島沖航空戦」の記事における「日本側の戦果誤認」の解説
戦史叢書を執筆した佐藤百太郎大尉は、日本側の現地部隊戦果報告を総合すると同戦闘で少なくとも空母だけでも8隻撃沈したことになるが、アメリカ側の記録ではこの期間における艦艇の被害は一隻もなく言及すらされていないこともあるとし、また根拠は不明だが、この報告を受けた日本側の上級司令部や大本営がこの戦果報告をなんの疑念もなく情勢判断の材料とし、大本営発表として公表し、終戦まで信じていたともしている。 これに対して、大本営軍令部作戦部長だった中沢佑少将の説明によれば、ギルバート諸島沖航空戦やブーゲンビル島沖航空戦における大戦果に関し、当時、連合艦隊司令部の報告から不確実を削除し、同司令部に戦果確認に一層配慮するように注意喚起していたが、同司令部より「大本営は、いかなる根拠をもって連合艦隊の報告した戦果を削除したのか」と強い抗議電が連合艦隊参謀長名(福留繁中将)で打電され、結局反論できず、うやむやになったという。中沢によれば、かかる福留中将の抗議のため、1944年10月に福留中将が第二航空艦隊司令長官として実施した台湾沖航空戦でも誤認戦果をそのまま報じることになったという。また、連合艦隊の報告に対し、情報担当の軍令部五課は戦果はほぼ無いと判断しており、中沢はこの経験から作戦部に現地戦果の三分の一が実際の戦果と考えるように指導したと戦後に述べている。堀栄三陸軍少佐は、薄暮攻撃などで視界不良だったことや、攻撃隊の報告の精査が不十分だったことを原因とする誤認戦果と推測していたという。
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