対ローマ戦に向けて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 15:42 UTC 版)
「シャープール2世」の記事における「対ローマ戦に向けて」の解説
成年に達したシャープール2世は、シャープール1世のように、東方のシルクロードを抑えるためにクシャーン族を討ちに行く。交易路を確保して帝国内を繁栄させるためである。シャープール2世は中国のトルキスタンにまで達し、それまでクシャーンが独占してきた利益をそっくりそのまま享受できるようになった。以来、両国の文化が影響しあい、使節が送られることになる。 スサの反乱に対しては、町そのものを象で踏み潰すことで芽を完全に摘んだ。その後、ローマ人捕虜のために市を再興し、イーラーン・フワル・シャープール(シャープールにより建てられた、イランの栄光)と名付けられた。他にニーシャープール(en:Nishapur)など、多くの市が再建あるいは建設された。 シャープールはホルミズド2世の敵討ちの意味もあって、アラブにも遠征し、砂漠に逃げ込む彼らを執拗に追って殲滅していった。
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