占領政策と警察通信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 22:17 UTC 版)
「米国の占領政策の重大案件として特高警察の廃止と民主警察制度への改革が強力に推進せられ、この新警察制度の体制に合致するように警察通信も切り替えねばならぬ附帯条件が加味された」 「占領後の安治安定化に当たった連合軍司令部は、昭和21年米国の著名専門家よりなる2組の警察調査団を招聘し、詳細に実地について調査研究せしめ、その報告基づき具体的な措置、勧告、指導援助を積極的に実施したのである」。 「昭和24年7月には、各警察管区本部、各府県本部及び各方面本部相互間の固定連絡設備が、また同年9月には、各都道府県内の応急用設備(陸上移動局)が質的に、非常に改善され、さらに同25年には、前記各無線電信網の普及していない山間へき地あるいは離島の小警察署及び駐在所との連絡を確保するための5W又は8Wの小電力中短波無線電話が、全国95箇所に開設され、ここに警察機構の末端までの無線通信網が整備された」。 上記引用中にある「小電力中短波無線電話」とは、「中短波簡易無線電話機」であり、「昭和25年5月頃、中短波簡易無線電話機のI型とII型とが実用化された。この機器は離島・山間僻地の駐在所又は警備艇などの、有線電話のない箇所に固定用として設置されたものであるが、一面移動的にも使える無線電話機である。その後、昭和28年6月頃III型ができ、昭和32年3月頃IV型ができて次第に小型の可搬型となってきている。(中略)最近は主としてハンデーなどの親局として機動的に使用されている。通話はプレストーク方式である。この機器で行う通話は、一般ラジオに入る危険性があるので、秘密保持上特に注意をしなければならない。」とある。警察電話回線が普及するにつれて利用が減り、転用されたものと思われる。「昭和25年10月、当時有線電話未架設であった北海郡保土島駐在所と北海部地区署に本機一組を設置し貢献したが、翌年5月警察電話開通に伴い撤去された。」。「昭和42年6月 中短波無線電話局の廃止並びに短波通信系の再編を計画」が行われ廃止された。このことは、「駐在所等末端までの警察電話の架設は遅々として進まず、昭和30年前半までの未架設駐在所にはA3と呼ばれる簡易中短波無線電話装置を設置して本署間の回線を確保するのが精一杯であった。警察電話未架設駐在所が解消されるのは昭和40年代になる。」との記述とも対応している。 上記引用中にある「同年9月には、各都道府県内の応急用設備(陸上移動局)が質的に、非常に改善され」とは、「可搬型応急無線機」のことを指すと思われる。「昭和24年8月頃、旧軍用であった可搬型応急無線機をそのまま警察に受け入れて、応急出動用として使用したのが、第一線用移動通信機のはじめである。この機器は、トンツー式の短波電信機であって、専門の通信職員が操作するもので、到達距離は大きいが警察官が独立で扱えない不便があった。しかし、当時移動用として唯一のものであったから、相当大きな役目を果たしていたのである。昭和29年6月現在の警察可搬型応急無線電信電話機(PR-20型)ができて、旧軍用機と取り替えられた。」。なお、この可搬装置の運用条件として災害や訓練以外に、「A 争議行為、暴動及びその他の騒擾事件が発生したとき。B 国家非常事態の宣言が発せられたとき。C 経済犯一斉取締りを実施するとき。D その他治安維持上緊急な措置を必要とするとき。」が挙げられており、当時の社会状況が反映されている。 警察通信の画期的変革が行われる動機となったものは、昭和23年6月内務省警保局編の「警察制度に関する司令部側調査団報告」の中にあるごとく、1946年(昭和21年)に来日したニューヨーク警視総監ヴァレンタインとミシガン州警察長のオランダーの勧告によるもの。勧告内容(抜粋)は以下の通り。 「無線電気通信施設: 警察事務用無線通信施設は無線電信法(近く改正予定)に基づき、逓信省の承認を受け、警察側が計画し、建設、保守及び運用にあたる」。「右の無線通信施設は、差向き警察側で現に運用中の無線電気通信施設を以て構成されるものとする。もっとも、警察の下部機構においては、優先通信が途絶した場合、公安保持上特に無線電話施設を必要と認められるが、来られの整備については、中短波及び短波用の周波数は今後利用できないので、管区本部以下の現存無線電信網は、これを超短波無線電話施設に取り替え、強化する計画を樹立するものとする」。 「措置: 有線施設の補助として適当な超短波無線施設の整備拡充を促進する必要な措置を講ずることとする」 上記勧告を受け、固定通信の不如意なわが国の実状に対処する手段として、起動通信を警察に採用することは、絶対的急務なりとする建前から、まず米国製超短波周波数変調方式(FM式)無線電話機30台を無償貸与の上、その実地試験を具体的に指導した。 「具体的な動きは(昭和)22年9月、総司令部の民間通信部(CCS)に来任したセコム氏が警察無線を担当して活動を始めてからである」。セコムは「警察無線に関する覚書」昭和24年5月4日付、通称、「SCAPIN-2000」を残して帰国する。 「昭和24年5月4日付GHQ命令2000号をもって「警察無線局は技術上国際電気通信条約に違反しており、要員の技術的能力も低劣である。したがって予算の許す範囲内で無線局の技術的整備と要員の充実をはかること、および無線局数を非常事態下における治安活動に支障ない限度に整備すること」を指令された」 「特にFM超短波の実験については、セコム氏の異常な熱意による指導で、九州の国東半島を一端とする瀬戸内海航行船舶との移動通信実験、鹿野山を中心とする関東各県との通信実験、新宿伊勢丹からの都内移動通信実験、金剛山を中心とする大阪管区12県間の通信実用化試験などがほとんど全国的に行われ、ついには北陸の白山頂上に超短波中継局を設置する実験まで発展した。当時の乏しい警察通信技術者が食料や資材の窮屈な中で、血の滲むような努力を続けたことは、今でも記憶に新たな人が多い筈である」 セコムは超短波通信は県間通信での利用を考えていたが、国家地方警察通信部長・小野孝は移動無線に適していると考え、総司令部幕僚公安課のマンローを説得した。 「昭和25年8月東京都内の27局の開設を皮切りに、大阪、福岡、山口、神奈川及び広島の各府県に逐次実用局の開設を見、その数すでに200局に達し(1952年当時)、これら無線局に充当せられる国産機の大量生産と相まって近き将来、さらに急速な拡充が予定されている」 「昭和25年8月18日東京都、9月1日には大阪府の施設が開局。続いて福岡県と山口県の施設も完成した」 「当初、国警本部では第一次計画として全国686地区警察署に、それぞれ一固定局(基地局)と一移動局を設置することとしていたが、当時はドッジ経済政策が強力に推進されていた時代であり、三カ年計画で総額37億余円予算措置は、とうてい大蔵省の容認するところとならず、結局、昭和25年度に4都府県(東京・大阪・福岡・山口)分として、1億4800万円が認められたに過ぎなかった。この初年度工事の実施県に山口県が選ばれた大きな理由は、本県が本州の西端に位置し、関門海峡を擁する地理的環境から朝鮮戦争前の緊迫した国際情勢に対応する処置であったと考えられる。」 。上記福岡県も同様の理由であると推定される。 その後、神奈川県、広島県、島根県の順に整備された。 「本県(島根県)では昭和26年11月30日、三瓶山頂に無線中継所を設置し、本部と安来、木次、出雲、大田、川本、浜田、益田の各署に基地局が設置された。そして本部に二台とこれらの警察署に各一台のパトロール用無線車が配置されて、30M帯の警察用超短波移動無線通信が開始された。これは先の4都府県と神奈川県、広島県に次ぐ全国七番目の設置である。」 その後、超短波施設五カ年計画により他府県も整備が進んだ。 昭和26年6月5日 福島、神奈川、新潟、茨城、愛知、兵庫、広島、島根、岡山、山口、長崎に超短波無線電話施設を設置。 昭和27年 札幌、旭川、釧路、北見、函館、宮城、青森、埼玉、千葉、静岡、長野、京都、石川、熊本、鹿児島に超短波無線電話施設を設置。 昭和28年 秋田、群馬、滋賀、三重、岐阜、香川、愛媛、大分に超短波無線電話施設を設置。 昭和29年 皇宮、岩手、山形、栃木、山梨、奈良、和歌山、福井、富山、島根、徳島、高知、宮崎に超短波無線電話施設を設置。 昭和30年 奄美大島及び佐賀に超短波無線電話施設を設置。超短波施設五カ年計画完了 超短波無線通信は県間連絡用にも整備された。 「昭和29年3月には超短波による隣県との連絡もできるようになり、石ケ岳から板鍋山(広島)、三瓶山(島根)、脊振山(福岡)の間が開通して、警察無線は飛躍的に発展していった。」 国家警察本部とは別に第二次世界大戦後の一時期に自治体警察が存在した。自治体警察における無線整備に関しては以下の通り。 「昭和23年3月発足をみた自治体警察は、その管轄区域が比較的狭小で、かつ、一般公衆通信網の普及度も高い関係上、無線を利用する分野は規模において国家地方警察に比し小さいものではあるが、いわゆる「パトロール」制度の採用による移動通信は、国家地方警察以上に必要である」 「自治体警察としては前述の通り国家地方警察の超短波移動用無線電話の実用化試験の結果、国産機による移動無線局の可能性が立証されたので、昭和24年末から、全国主要都市自治体警察消防運営委員会において、各自治体警察の超短波自動車無線が計画され、昭和25年10月大阪市公安委員会の無線局が免許されたのをこう矢として、横浜、東京、名古屋、神戸及び京都の各都市公安委員会の30Mc帯による無線局が相次いで免許された。もっとも、この30Mc帯は、周波数の経済的割り当て上150Mc帯の電話が実用の域に達するまでの暫定的手段として認めたもので、昭和26年6月大阪市公安委員会の無線局が、この周波数帯による実用化試験の局として免許され、次いで宇都宮、甲府、長野、尼崎、札幌、広島、横浜、小樽の各都市の公安委員会の実用化試験曲がすでに免許され川崎、名古屋、岸和田の各都市公安委員会無線局も予備免許されている。以上のように、自治体警察における超短波移動用無線電話網は急速に整備されつつあって、全国的な整備も間近いことと思われる」 自治体警察はその後、1954年に警察法の改正により府県警察に一本化された。
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