占領政策への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 05:20 UTC 版)
「モーゲンソー・プラン」の記事における「占領政策への影響」の解説
ルーズベルトの1945年春の死去により、ケベック会談での覚書が実行に移されることはなかったが、ここに書かれた政策案はアメリカ政府の内部、特にモーゲンソーのいる財務省には浸透しており、結果的にアメリカおよび連合国の計画に次のような影響を与えた。 ポツダム会談 統合参謀本部命令1067号(Joint Chiefs of Staff Directive 1067、ドイツ占領基本指令1067号、略称 JCS1067、1945年8月から1947年7月まで) ドイツ産業計画(Level of Industry plans for Germany) 特に、1945年5月10日にトルーマン大統領が署名を行った「JCS1067」はアメリカ占領当局に対し、ドイツ国民に対する経済支援や再建支援はどのような種類のものも、たとえ現状を維持する程度のものであっても、はっきりと禁じていた。ドイツ占領基本指令1067号はドイツの政治的非ナチ化(例えば公職追放など)および重工業の解体に焦点を当てていた。 1946年1月、米英仏ソによる連合国管理理事会(Allied Control Council)は、ドイツの鉄鋼生産高に「戦前の生産水準の25%まで許可する」という上限を設けることでドイツ経済の将来に足かせをはめた。このため余剰設備となった製鉄工場は解体された。またポツダム会談の結果占領軍は、ドイツの生活水準を、ドイツと交戦したヨーロッパ諸国(特にフランス)より低くなるようにする義務を負った。ドイツの生活水準は大恐慌下の1932年並みに削減されることになった。1946年に調印された産業水準計画では、1,500の施設を解体することでドイツの重工業を1938年の水準の50%にまで削減する、と記述された。 JCS1067の命令下では、占領軍は石油製品、ゴム、商船、飛行機などの生産を禁じ、自動車などの生産も戦争前に比べて極めて低い水準に抑え、農業部門以外の経済成長の手助けは行わなかった。
※この「占領政策への影響」の解説は、「モーゲンソー・プラン」の解説の一部です。
「占領政策への影響」を含む「モーゲンソー・プラン」の記事については、「モーゲンソー・プラン」の概要を参照ください。
- 占領政策への影響のページへのリンク