兵器・兵装
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戦闘機 九六式艦上戦闘機 風間が中国大陸での初陣の際などに搭乗したが、その時点で既に旧式化していた。 零式艦上戦闘機(零戦) 作中では烈風が早期に登場したため、五二型以降は開発されなかった(外伝では7.7ミリ機銃8丁を装備した「四二型乙」が登場、これが最後の生産タイプとされている)。 二式双発単座戦闘機(双戦) 「栄」発動機を両翼に搭載した日本初の重戦闘機。元々は「陸攻隊を直掩して長距離進攻可能な双発多座戦闘機」として開発が進められていたが、海軍の無茶苦茶な性能要求に振り回された挙げ句、零戦の登場で存在意義すら失った十三試双発陸上戦闘機の機体設計を無駄にすまいとして中島設計陣が提案した機体の一つ。原型機は史実と同様に陸上偵察機として採用され、後に斜銃を装備した夜間戦闘機月光となっている。 軽い逆ガルの主翼と細い胴体は新たに設計されたが、生産の効率化を図るため「双発零戦」といわれるほど零戦の部品をできる限り流用することで、発注から三ヶ月という驚異的短期間で試作機を完成させ、初飛行に漕ぎ着けた。 制式採用された本機は当初、首都防空部隊として創設された第六航空隊を中心に配属され、ドーリットル隊を迎撃した。また、着艦装置などを加えた艦載型も開発され、アリューシャン方面や南東方面などで活躍した。搭乗員の評価も高かったが、双発機故の整備上の困難と生産性の低さから総生産機は300機弱に留まった。また、機首に20ミリ機銃4丁を搭載するなど、当時の日本機としてはかなりの重武装である。 なお、『ラバ空』各巻の表紙は登場する航空機や軍艦の模型写真が使われているが、双戦の模型はウエストランド・ホワールウィンドのキットを零戦のパーツで改造した物である。 雷電 三菱の技師が過労で倒れた後、国立飛行機(架空)が開発を引き継いで1942年夏には実戦配備された。風防の形状(500mm近く持ち上げて零戦と同じ涙滴型風防)などが史実とは異なる。登場人物曰く、「操縦席で宴会ができるほど広い」。 烈風 日本海軍が大戦中に完成させた最強のレシプロ艦戦(史実では実戦に間に合わなかった)。 「誉」発動機の改良型である「勲」の登場などによって早期開発に成功、1943年初頭には一部の航空母艦搭載の部隊に配備された。陸海軍機種統一計画により、陸軍でも「疾風(キ-90)」として採用された。 作者によると機体のデザインは紫電改と疾風の折衷案であるとしている。 閃風 ドイツでの政変により、失脚を予想したメッサーシュミット社(実質的にメッサーシュミット博士)が日本に譲渡した世界初の本格的ジェット戦闘機Me262の本体と設計図を元に開発された(Me262のエンジンは双発懸架式で、本機のエンジンは胴体収納式の単発)日本海軍初のジェット艦上戦闘機。 呂式震電 九州飛行機が開発したエンテ型の局地戦闘機震電をベースにしたジェット戦闘機。 当初、2,200馬力の「勲」発動機を搭載するプッシャー・プロペラ式のレシプロ機だったが、最高速度は400ノット(約740キロメートル/時)がやっとだったのに対し、ジェットエンジン搭載によって一挙に450ノット(約860キロメートル/時)を突破、上昇力も大幅に向上した。また、六翅プロペラが不要になったことから、大きな弱点だった三点式の脚を極端に長くする必要がなくなり、翼内燃料タンクの大幅な増積にもつながった。加えて、緊急脱出に備えたプロペラの複雑な機構も不要、プロペラが中心にあるため左右に分けられていた方向舵をまとめることができるなど機体としての熟成度も大きく高まった。五式30ミリ機銃を4挺装備し、さらに六式三号噴進弾も装備され大火力も実現している。生産機は直ちに各地の防空戦闘機隊に配備され、B-29の迎撃に大きな戦果を挙げた。 極光 B-29迎撃の切り札として登場した、世界的にも珍しい液冷レシプロエンジンと軸流式ジェットエンジンを搭載した混合動力式の夜間戦闘機。 航空母艦 剛龍 元イギリス空母インドミタブル。マレー沖海戦で損傷し、シンガポール占領時に自爆に失敗、日本軍が鹵獲し日本初の装甲空母として戦列に加えた。また、同級のヴィクトリアスは第三次ソロモン海戦(史実の南太平洋海戦に相当する)に参加、大破漂流中のところを日本軍が発見、鹵獲を試みたが、既にキングストン弁が開かれており、また敵の重爆も飛来してきたことから曳航を断念し撃沈している)。 伊吹型 伊吹、吉野の2隻。最上型重巡洋艦の準同型艦(改鈴谷型、未成)の船体を流用、改装した軽空母で、「突撃空母」とも称される。速度と搭載数を上げるために居住性が犠牲となっており、乗員は設計者の平中佐を恨んだという。平式艦発促進台(スキージャンプ甲板)を装備することで本艦のような軽空母でも新型機が運用可能となった。 雲龍型 雲龍、天城、葛城、笠置、阿蘇、生駒、鞍馬、白根、筑波の9隻が建造された。 伊勢型・扶桑型 伊勢、日向、扶桑、山城の4隻。史実の伊勢型のような航空戦艦ではなく、全通甲板式の完全な空母に改装された。 戦艦 紀伊型 紀伊、尾張の2隻。50cm砲を搭載した史実でいう超大和型戦艦らしいが、詳細は不明。尾張はトラック環礁近海で米潜水艦に沈められたという。 その他 回天 史実のような特攻兵器ではなく、ドイツの音響追尾技術を導入して開発された誘導魚雷。開発初期の試験や発射直前の整備などで人間が中に入り込めたほどの大きさである。原爆を輸送中だった、といわれる重巡インディアナポリス、ミネアポリスや他多数の軍艦を撃沈。徹底した機密保持(不発による捕獲を防ぐため触発信管、時限自爆装置を複数つけるなど)で連合軍は停戦まで詳しい情報を得られなかった。 五式三十ミリ機銃 東亜特殊鋼が開発、大戦末期に登場する乙戦には必ずと言っていいほど装備された傑作機載機銃。1挺あたりの弾量が少なく「呂式震電」では一挺当たりわずか60発、本機銃では7秒間発射で弾切れをしてしまうのが難点。 性能/要目 初速 770m/秒 発射速度 530発/分 弾頭重量 350g。 六式三号噴進弾 爆撃機邀撃戦での切り札として開発された新型ロケット弾(三号爆弾(近接信管付き)をロケット弾化した物)。 性能/要目 射程距離 1,500m(計算値) 弾頭重量 32kg(65個の焼夷弾子装填) 五式酸素魚雷「鮫龍」 航空魚雷。VT信管やボフォース社の40mm機銃を大量に配備しまさに「鉄壁」と言っても良い米機動部隊攻撃の切り札として開発された長距離誘導酸素魚雷。自動発射管装置も含めると5トン近くにもなるため、こうした装置を搭載できるのは最新鋭の「連山」(史実では、試作のまま終戦を迎えたが、ラバ空の世界では1945年6月に制式採用)以外になく、「連山」が母機となって攻撃に投入された。 性能/要目 口径 61cm 全長 9.48m 重量 2.86t 炸薬量 420kg 射程 36ノットで40,000m
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