スタルヒン【Victor Starukhin】
ヴィクトル・スタルヒン
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ヴィクトル・コンスタンチーノヴィチ・スタルヒン(ロシア語: Виктор Константинович Старухин, ラテン文字転写: Viktor Konstantinovič Starukhin; 英語: Victor Starffin、1916年5月1日 - 1957年1月12日)は、昭和期前半のプロ野球選手(投手)。ロシア帝国生まれ、北海道育ち。戦時中に、須田 博(すだ ひろし)に改名した。
注釈
- ^ これはのちにも外交史料館に残されている当時の取り調べ記録に、「母トトモニ一般ヨリ同情ヲ受ケ居レリ」と記載されている。
- ^ 鈴木以外は移籍経験があるが、金田・米田・別所は300勝まで同一チーム(ただし別所は100勝到達前に移籍)、小山は200勝目と300勝目が同一チームだった
- ^ なお、1941年は戦前に日本ゼネラル・モータースが操業していた最後の年であるが、同社の日本におけるノックダウン生産は1939年にはほぼ停止していたため、スタルヒンのシボレーは大東亜戦争開戦前夜に輸入された車両であるとみられる。
- ^ 1969年廃止。現在の東急バス「三宿」停留所に相当。
- ^ 日本初の野球場への個人名使用。『野球がパスポートだった〜ヴィクトル・スタルヒン』
- ^ 父親の父称(名と姓の間に置かれる。男性の場合は「父親の名+ヴィチ」で作る)は、この欄にはローマ字で Fedrovich(フョードロヴィチ、正しくは Fedorovich または Fyodorovich ←Фёдорович)と書かれていたが、Wikipedia ロシア語版「ヴィクトル・スタルヒン」Виктор Старухинでは「フェドートヴィチ」(Федотович/Fedotovich)と書かれている(2021年6月2日現在)。「ノート」参照。
- ^ 英語式表記ではジョージ(George)だが、ロシア語式表記ではゲオルギー(Георгий)となる。
- ^ 勝率1位はスタルヒンの.833(15勝3敗)だったが、最高勝率のタイトルは.789(30勝8敗)の森弘太郎が獲得。
出典
- ^ プロ野球在籍者名簿 す NPB.jp
- ^ a b c 『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』16頁
- ^ a b 『報知グラフ 別冊 巨人軍栄光の40年』195頁
- ^ a b NHK「こだわり人物伝」
- ^ a b c d ナターシャ・スタルヒン著「ロシアから来たエース」(PHP文庫)
- ^ 『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文藝春秋、1994年)
- ^ a b c 日本プロ野球偉人伝vol1 スタルヒン ベースボールマガジン社 2013年10月
- ^ 『豪球列伝-プロ野球不滅のヒーローたち』109頁
- ^ 『豪球列伝-プロ野球不滅のヒーローたち』110頁
- ^ 『巨人軍5000勝の記憶』p.12
- ^ 『プロ野球データブック'84』(宇佐美徹也著、講談社文庫、1984年)p.421
- ^ 『プロ野球記録大鑑』823頁
- ^ 『宇佐美徹也の記録 巨人軍65年』30頁
- ^ a b 『プロ野球 騒動その舞台裏』296頁
- ^ 『戦火に消えた幻のエース―巨人軍・広瀬習一の生涯』21頁
- ^ 『戦火に消えた幻のエース―巨人軍・広瀬習一の生涯』166頁
- ^ 『球団消滅―幻の優勝チーム・ロビンスと田村駒治郎』115頁
- ^ 『プロ野球記録大鑑』486頁
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』72頁
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』91頁
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』118頁
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』117頁
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』147頁
- ^ 『豪球列伝-プロ野球不滅のヒーローたち』111頁
- ^ 【1月12日】1957年(昭32) 初の300勝投手スタルヒン、ナゾの交通事故 - スポニチ
- ^ a b 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』173頁
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- ^ 大投手スタルヒン、交通事故死【1957年1月12日】 - 野球 - 週刊ベースボールONLINE
- ^ 1941 Chevrolet Special Deluxe - StartingGrid
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』172頁
- ^ a b c d ヴィクトル・スタルヒン 歴史が眠る多磨霊園
- ^ 一般社団法人 横手市観光推進機構 「ヴィクトル・スタルヒンの墓」
- ^ 野茂氏と同じく殿堂“一発合格”スタルヒン氏の壮絶野球人生 - スポニチ
- ^ 『巨人軍の男たち』23頁
- ^ 日本プロ野球偉人伝1934~40編
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』110-111頁
- ^ 『プロ野球記録大鑑』615頁
- ^ 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』116頁
- ^ a b c d e f g h i j Victor Starffin Peter C Bjarkman, Society for American Baseball Research
- ^ a b c d e プレミアムカフェ選 プレミアム8 「野球がパスポートだった〜ヴィクトル・スタルヒン」 NHKアーカイブス
- ^ 巨人軍孤高のエース、ヴィクトル・スタルヒン投手。謎の死など波乱万丈な生涯が切ない 小学館、Warakuweb、2020.07.07
- ^ 『巨人軍を憎んだ男 V・スタルヒンと日本野球』(牛島秀彦著、福武文庫、1991年)p21
- ^ 母校野球部に半生を捧げる 甲陽学院同窓会、『甲陽だより』第66号、平成14年7月31日、p11
- ^ 『巨人軍を憎んだ男 V・スタルヒンと日本野球』(牛島秀彦著、福武文庫、1991年)p202
- ^ a b 『巨人軍を憎んだ男 V・スタルヒンと日本野球』(牛島秀彦著、福武文庫、1991年)p226
- ^ きっかけは「スタルヒン」 北海道と秋田で育つ新たな絆 朝日新聞、2017年9月3日
- ^ 郷土図書室 本のちょっと ホットアイあきた(通巻392号) 1995年(平成7年) 3月1日
- ^ 文学者から見た東北文化 高橋義雄の足跡西木正明、東北電力みちのくホームページライブラリー、1997年3月
- ^ マガジンハウス; 平凡出版株式会社; 凡人社 (東京都京橋区) (1960-09). 平凡. 東京: マガジンハウス
- ^ “地球は引きうけた - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇”. テレビドラマデータベース. 2021年7月31日閲覧。
- ^ “スタルヒン長女ナターシャさんが始球式 生誕100周年”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年6月8日) 2016年6月18日閲覧。
- ^ 理事長あいさつ 一般社団法人 日本ホリスティックニュートリション協会
- ^ 高橋レナ音楽事務所 高橋レナさん 雄物川町出身 あきた(通巻212号) 1980年(昭和55年) 1月1日
- ^ 『日本のなかのロシア ロシア文化と交流史跡を訪ねる』長塚英雄、東洋書店、2005、p53
- ^ 『プロ野球記録大鑑』815頁
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- ^ https://npb.jp/bis/history/ssp_w.html
- ^ 『プロ野球記録大鑑』809頁
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- ^ https://npb.jp/history/alltime/milestones_win_100.html
- ^ https://npb.jp/history/alltime/milestones_win_200.html
- ^ 凍れる瞳(読み)シバレルヒトミ コトバンク
- ^ 『プレミアムカフェ』(NHK BSプレミアム)2016年5月2日放送分にて、郭源治出演『きょうの料理』と併せて再放送。
- 1 ヴィクトル・スタルヒンとは
- 2 ヴィクトル・スタルヒンの概要
- 3 特筆
- 4 詳細情報
- 5 関連情報
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
日本の野球選手 | 山下浩二 高木康成 ヴィクトル・スタルヒン 稲葉光雄 岡村隆則 |
読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 | 久保裕也 高木康成 ヴィクトル・スタルヒン 林昌範 鹿取義隆 |
日本の野球殿堂 | 村上実 河野安通志 ヴィクトル・スタルヒン 小泉信三 中河美芳 |
大映ユニオンズ及びその前身球団の選手 | 伊賀上良平 林義一 ヴィクトル・スタルヒン 田川豊 平野謙二 |
松竹ロビンス及びその前身球団の選手 | 岩本信一 中谷準志 ヴィクトル・スタルヒン 田川豊 平野謙二 |
高橋ユニオンズ及びその前身球団の選手 | 野村武史 青木惇 ヴィクトル・スタルヒン 加藤一昭 筒井敬三 |
ロシアの野球選手 | ヴィクトル・スタルヒン オレグ・コルネイエフ |
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