ミッドウェー島空襲とは? わかりやすく解説

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ミッドウェー島空襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)

ミッドウェー海戦」の記事における「ミッドウェー島空襲」の解説

ミッドウェー作戦では、二つ時間表示が存在するアメリカ軍ミッドウェー島と同じ西経日付使用し、さらにアメリカ軍機動部隊日付時間10時間を加えているので、ミッドウェー時間より2時間遅れている。日本軍東経日付使用し、さらに東京時間使用している。米国ハワイその周辺使用している時刻については「ハワイ・アリューシャン標準時参照。従って日本軍各艦各隊戦闘詳報東京時間であり、ミッドウェー時間とは21時間異なる。ここから00:00)内を現地ミッドウェー時間とし、戦闘詳報記載され東京時間を「午前/午後○○○○分」で併記する。「軍艦加賀戦闘詳報によれば日の出日本時間6月5日午前2時、日没午後4時頃、南雲機動部隊上空天候曇り雲量8、雲高500から1000であった日本時間6月4日午後10時30分現地時間6月4日1:30)、米空母では航空機搭乗員に朝食出されその後出撃待機となり命令待った一時間後、搭乗員整列下令艦長航空司令からの指示注意事項通達された。日本時間6月5日午前1時15分(4:15)、ミッドウェー基地からPBY飛行艇による哨戒隊、15分後には第17任務部隊空母ヨークタウンからSBD ドーントレス爆撃機からなる偵察隊航空偵察出撃した。ウォリィ・ショート大尉の隊は日本軍水上偵察機1機と交戦した報告した。この時点南雲機動部隊は、ヨークタウンから西方200海里航行している。 日本時間6月5日午前1時30分(4:30)、南雲機動部隊ミッドウェー空襲隊(友永丈市大尉指揮:零式艦上戦闘機36機、九九式艦上爆撃機36機、九七式艦上攻撃機36機、合計108機)を発進させた。本来ならば淵田中佐が総指揮官として出撃するはずだったが、淵田は虫垂炎による手術行ったばかりなので出撃できなかった。源田実航空参謀風邪により熱を出していた。日本軍は「敵空母基幹とする有力部附近海面大挙行動推定せず」という方針元に攻撃開始する近藤中将攻略部隊第二艦隊)がミッドウェー島上陸する日は6月7日決定されており、南雲機動部隊それまでミッドウェー基地戦闘力を奪わなければならなかった。奇襲成立前提にあり、空襲攻撃主目標地上上空飛行機、副目標滑走路航空施設防空陣地であった源田実参謀によれば滑走路が副目標であるのは支那事変日中戦争)の戦訓から長期間使用不能にすることが困難であるからまた、艦爆対空砲火による被害が大きいことも支那事変わかっていたが命中率良さから採用し800キロ爆弾開戦後経験から陸上攻撃大きな効果があることが分かっていたため採用したという。 各空母からの発艦機数は、赤城から零戦9機、九九艦爆18機、加賀から零戦9機、九九艦爆18機、蒼龍から零戦9機、艦攻18機(800キロ爆弾装備)、飛龍から零戦9機、艦攻18機である。このうち飛龍艦攻1機(赤松作 飛特少尉)が故障引き返している。四空母に残った戦力は、零戦36(各艦9)、艦爆36(飛龍18蒼龍18)、艦攻41(赤城17加賀26)であった一航戦艦攻には航空機用魚雷二航戦艦爆には250キロ通常爆弾装着され、各空母格納庫待機アメリカ側記録には、二航戦セイロン沖海戦戦訓踏まえ陸上攻撃艦船攻撃どちらでも対応できるようにするため未装備状態だったとする意見もある(何れのアメリカ側記録資料研究者によるかは不明)。 また偵察機として赤城加賀から九七式艦攻各1機、重巡洋艦利根筑摩から零式水上偵察機各2機、戦艦榛名から九五式水上偵察機発進した索敵機の発進日の出30分前、午前1時30分と定められていた。だが第八戦隊司令官阿部弘毅少将判断利根対潜哨戒につく九五式水上偵察機発艦優先された。このため筑摩機は(04:35)午前1時35分(第5索敵線)、(04:38)午前1時38分(第6索敵線)に零式水上偵察機発進、(0450)午前1時50分に対潜哨戒機発進利根は(04:38)午前1時38分に対潜哨戒機、(04:42)午前1時42分(第3索敵線)、(05:00)午前2時(第4索敵線)にそれぞれ偵が発進した戦闘詳報には「利根筑摩とも出発著しく遅延す」「筑摩6号機天候不良のため午前3時35分に引き返せり」という記載がある。 筑摩の遅れは、機長飛行長の黒田信大によれば待機していたが艦長から発艦命令がなかったので催促したという。艦長古村啓蔵大佐によれば発艦遅れた理由思い出せない催促され判断し発艦させたという。利根の遅れは、通信参謀矢島源太郎飛行長武田春雄によれば射出機故障記憶になく、大きく遅れた感じはなかったという。第八戦隊首席参謀土井美二中佐によれば、なにか滑走車のピン抜けた入らない騒いでいた気がするという。 最後に空母より零戦1個小隊3機が直掩(援)のため出撃した。このうち加賀零戦1機が故障のために飛び立て合計11機となる。そして南雲艦隊針路を再びミッドウェー島に向け進撃開始した午前2時20分(05:20)、南雲長官より「敵情変化なければ第二次攻撃第四編成指揮官加賀飛行隊長をもって本日実施予定」という信号送られた。これは米艦隊出現しない事が明確になった時点兵装対地用に変更しミッドウェーを再空襲する事を予令として通知したのである。仮に第二次攻撃隊が出撃すると、南雲機動部隊残され航空兵力は各空母零戦3機となるはずだった。一方で複数関係者からこの予令が存在しない旨の証言がある。(「#資料問題」節を参照午前2時15分(05:15)頃、アディ大尉操縦するPBYカタリナ飛行艇日本軍零式水上偵察機利根4号機)を発見近く日本艦隊がいると判断した大尉付近捜索した結果15分後に南雲部隊発見して日本空母1、ミッドウェー320度、150浬」と平文報告した日本側もPBY飛行艇発見し警戒隊の軽巡洋艦長良から、続けて戦艦霧島から敵機発見知らせ煙幕あがった南雲機動部隊直掩(援)零戦隊を発進させ始めたが、アメリカ軍飛行艇利用して回避しつつ接触続け零戦隊はとうとうアディ大尉PBY飛行艇撃墜できなかった。午前2時40分(05:40)、アディ大尉機と同じ針路遅れて飛んでいたチェイス大尉PBY飛行艇ミッドウェー空襲隊を発見報告したアメリカ軍偵察機南雲部隊発見通報した無電ミッドウェー基地南雲部隊などには傍受されたが、第16・17任務部隊には混線したため内容把握できなかった。両部隊が内容把握できたのはPBYからの続報元にして、(06:03)にミッドウェー基地打電した平文の緊急電傍受してからである。この平文電報赤城でも傍受している。 空襲予想されるミッドウェー基地では午前3時06:00)に迎撃戦闘機26機(バッファロー20ワイルドキャット6機)が出撃し、続いてTBFアベンジャー雷撃機6機、B-26マローダー爆撃機4機、SB2Uビンジゲーター急降下爆撃機12機、SBDドーントレス急降下爆撃機16機という混成攻撃隊が南雲部隊向けて発進した基地には予備SB2U 5機及びSBD 3機が残された。午前3時7分(06:07)、ミッドウェー基地経由日本軍空母発見報告受けたフレッチャー少将直ち行動開始すると、エンタープライズスプルーアンスに対して攻撃命令したアメリカ海軍の3空母直ち出撃準備開始スプルーアンスエンタープライズホーネット攻撃発進午前4時07:00)と指定した午前3時16分(06:16)、ミッドウェー基地上空米軍戦闘機隊は艦攻艦爆戦闘機隊の順で進撃し来る日本軍攻撃隊(友永隊)107機を発見する戦闘カタリナ飛行艇の吊光弾投下米軍機奇襲始まり先頭友永隊長機始め艦攻多数被弾直後零戦隊が逆襲転じて戦闘機同士制空となった。約15分空中戦日本側の勝利に終わる。迎撃したF2Aブリュースター・バッファロー戦闘機20機のうち13機が撃墜されF4Fワイルドキャット戦闘機6機のうち2機が撃墜され帰還したバッファロー5機、ワイルドキャット2機が使用不能となったアメリカ軍妨害排除した日本軍攻撃隊は午前3時30分(06:30)から午前4時10分(07:10)にかけて空襲実施した映像撮影のため派遣されていた映画監督ジョン・フォードなどが見守る中、重油タンク水上機格納庫戦闘指揮所発電所一部対空砲台を破壊し基地施設打撃与えたが、滑走路損傷小さく死傷者20名と少なかった九九艦爆搭乗員は、飛行機のない滑走路爆撃して虚しい思いをしたと回想している。日本軍攻撃隊は、アメリカ軍戦闘機41撃墜確実・9機不確実主張し艦攻5機、艦爆1機、零戦2機を失った。残る機も相当数被弾しており、艦攻16艦爆4、戦闘機12(修理不能2)が損傷した友永大尉機も被弾によって無線機使用不能となり、小型黒板通じて二番機に中継代行をさせている。アメリカ軍側は空中戦日本軍機40-50機を撃墜地上砲火10撃墜主張しバッファロー13機、ワイルドキャット2機を失い、残る戦闘機被弾して出撃可能機は2機となったまた、帰途につく艦攻隊に最初空戦海面不時着した艦航隊第二中隊長機菊池六郎中隊長以下3名がゴムの上マフラー振っているのが発見され非常食投下されたが、その後の戦況のため救助されることはなかった。 攻撃成果が不十分と判断した友永大尉午前4時07:00)、南雲機動部隊対し「カワ・カワ・カワ(第二次攻撃の要あり)」と打電して第一次攻撃隊の攻撃は不十分であることを伝えたミッドウェー基地攻撃中の午前3時49分(06:49)、筑摩4号機天候不良のため引き返す報告(受信午前3時55分)。午前3時55分(06:55)、利根1号機から「敵15機わが艦隊に向け移動中」という報告を受け、更に零戦6機を直掩加えたアメリカ軍側の記録によればヨークタウンから発進した10機の索敵機である。同じく四空母に分乗している第六航空隊零戦21機を使用できるよう準備指示している。直掩隊は弾薬燃料補給のため頻繁に着艦交替繰り返したため、飛行甲板艦攻艦爆並べることが出来なかった。

※この「ミッドウェー島空襲」の解説は、「ミッドウェー海戦」の解説の一部です。
「ミッドウェー島空襲」を含む「ミッドウェー海戦」の記事については、「ミッドウェー海戦」の概要を参照ください。

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