長谷川四郎 (政治家) 外部リンク

長谷川四郎 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 15:27 UTC 版)

長谷川 四郎
はせがわ しろう
『長谷川四郎先生之像』
群馬県みどり市大間々庁舎)
生年月日 1905年1月7日
出生地 群馬県山田郡
没年月日 (1986-08-07) 1986年8月7日(81歳没)
出身校 大間々高等小学校
前職 群馬県議
所属政党民主党→)
国民民主党→)
改進党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章
正三位
衆議院永年在職議員
群馬県名誉県民
配偶者 きく

第40代 建設大臣
内閣 福田赳夫内閣
在任期間 1976年12月24日 - 1977年11月28日

在任期間 1972年1月29日 - 1972年11月13日
衆議院議長 船田中

第40代 農林大臣
内閣 第2次佐藤第2次改造内閣
在任期間 1968年11月30日 - 1970年1月14日

選挙区 旧群馬2区
当選回数 14回
在任期間 1949年1月24日 - 1986年6月2日
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長谷川四郎

長谷川 四郎(はせがわ しろう、1905年明治38年〉1月7日 - 1986年昭和61年〉8月7日)は、日本政治家衆議院議員自由民主党所属)。魚屋(自称)から衆議院副議長にまで上り詰めた立志伝中の人物として知られる。また、親しみやすい人柄で「シローさん」の愛称で誰からも親しまれた[要出典]

来歴・人物

群馬県山田郡大間々町桐原に、養蚕指導員の父・辰之助、母・テルの三男として生まれる。幼少期に父が亡くなり、大間々尋常高等小学校を卒業した後、乾物屋で奉公。1931年昭和6年〉に魚店「魚丈」を開業し、1936年〈昭和11年〉に株式会社長谷川商店に改組。太平洋戦争中は群馬県生鮮魚介配給統制組合理事長、群馬県魚介配給株式会社取締役社長などを務め、官庁に人脈を作る契機となった[1]

戦後は桐生商工会議所副会頭となり、1947年〈昭和22年〉4月に行われた戦後初の群馬県議会議員選挙に山田郡選挙区で出馬し当選[2]1949年〈昭和24年〉の第24回衆議院議員総選挙群馬2区民主党から衆議院議員に立候補し、新人でありながらトップ当選を果たした(当選同期に池田勇人佐藤栄作岡崎勝男前尾繁三郎橋本龍伍麻生太賀吉小渕光平西村英一橋本登美三郎福永健司塚原俊郎藤枝泉介木村俊夫稲葉修河本敏夫森山欽司床次徳二有田喜一など)[3]。同年3月に民主党が野党派と連立派に分裂すると野党派に属し、翌年4月に民主党野党派が国民協同党・新政治協議会と合同し国民民主党を結成してからは同党に属した[4]1952年〈昭和27年〉に改進党が発足すると同党に属し、造船疑獄に伴う1954年〈昭和29年〉4月24日の吉田内閣不信任決議案に対しては、改進党の立場に反して反対票を投じた[5]

自由民主党では当初石橋湛山派に属し、1956年〈昭和31年〉に成立した石橋内閣では通産政務次官となったが、石橋内閣が2ヶ月で瓦解すると岸信介派に移り、1962年〈昭和37年〉に岸派が解散すると交友クラブ川島正次郎派、のち椎名悦三郎派)に所属した。

衆院商工委員長、同農水委員長、自民党国会対策委員長などを歴任しながらも入閣の機会に恵まれなかったが、1968年〈昭和43年〉第2次佐藤内閣農林大臣に初入閣。農林大臣としては12年ぶりの生産者米価据え置きや第7回日米貿易経済合同委員会での交渉にあたった[6]

1972年〈昭和47年〉、荒舩清十郎衆議院副議長が日本社会党日本共産党に対し中傷的な発言をしたとして辞任したため、後任として副議長に就任(在任1972年1月29日 - 1972年11月13日[7]1974年〈昭和49年〉に田中内閣が倒れると、後任をめぐり自民党副総裁・椎名悦三郎のもとで奔走、椎名裁定による三木内閣誕生に貢献した[8]

1976年〈昭和51年〉に三木おろしが進む中、反三木の各派閥によって挙党体制確立協議会(挙党協)が結成されると椎名派からは長谷川が世話人となり、挙党協は福田赳夫を指導者として推すことに決定した[9]。同年12月に福田赳夫内閣が成立すると、挙党協で活躍した園田直鈴木善幸らとともに建設大臣として入閣する。建設大臣としては北関東自動車道の建設などに取り組んだが、福田首相の目指す行政改革には真っ向から反対の姿勢を示し、行革は結局失敗に終わった[10]

自由民主党群馬県支部連合会では1967年〈昭和42年〉7月から1986年〈昭和61年〉まで、実に19年にわたって会長を務めた[11]。当時の県内では福田赳夫・中曽根康弘がそれぞれ派閥の領袖となったため、県内での党派対立を抑えて「保守王国群馬」として一枚岩を維持する役割を果たした[12]

また党内有数の繊維族議員としても活躍した[要出典]1979年〈昭和54年〉、中川派「自由革新同好会」結成に最長老として参加、同派座長に就任し中川一郎を名実共に総理総裁候補に推すべく苦心したが中川の死によりその目標は絶たれた。中川死去の翌1984年〈昭和59年〉に福田赳夫率いる福田派に合流した[13]。1986年〈昭和61年〉に政界引退を表明(地盤は谷津義男が引き継いだ)。当選回数14回。同年8月7日草津町の病院で肺線維症で[要出典]死去[14]享年81。葬儀・告別式は大間々中学校体育館で福田赳夫を実行委員長として行われ、9月1日に前橋市群馬県民会館で県民葬が営まれた[15]

1978年〈昭和53年〉5月、勲一等旭日大綬章を受章[14]。群馬県政界の実力者として知られ、死去の前日に制定された群馬県名誉県民の第一号となった[16]。没後正三位に叙される[14]法号は「四明院殿常知道行世音大居士」、墓所はみどり市大間々町桐原の世音寺[15]

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第24回衆議院議員総選挙 1949年01月23日 44 旧群馬2区 民主党 3万3740票 20.5% 3 1/11 /
第25回衆議院議員総選挙 1952年10月01日 47 旧群馬2区 改進党 3万5855票 19.6% 3 2/7 /
第26回衆議院議員総選挙 1953年04月19日 48 旧群馬2区 改進党 3万5239票 18.9% 3 3/6 /
第27回衆議院議員総選挙 1955年02月27日 50 旧群馬2区 日本民主党 4万9535票 25.5% 3 1/7 /
第28回衆議院議員総選挙 1958年05月22日 53 旧群馬2区 自由民主党 4万8665票 24.2% 3 1/7 /
第29回衆議院議員総選挙 1960年11月20日 55 旧群馬2区 自由民主党 5万388票 26.07% 3 1/7 /
第30回衆議院議員総選挙 1963年11月21日 58 旧群馬2区 自由民主党 5万3922票 27.08% 3 1/6 /
第31回衆議院議員総選挙 1967年01月29日 62 旧群馬2区 自由民主党 6万5283票 32.38% 3 1/5 /
第32回衆議院議員総選挙 1969年12月27日 64 旧群馬2区 自由民主党 6万7002票 27.45% 3 1/7 /
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 67 旧群馬2区 自由民主党 6万6864票 25.02% 3 1/6 /
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月05日 71 旧群馬2区 自由民主党 5万8105票 21.22% 3 3/5 /
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月07日 74 旧群馬2区 自由民主党 9万6414票 39.92% 3 1/4 /
第36回衆議院議員総選挙 1980年06月22日 75 旧群馬2区 自由民主党 9万7338票 35.96% 3 1/5 /
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 78 旧群馬2区 自由民主党 6万7892票 23.99% 3 3/6 /

脚注

出典

  1. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 418–421.
  2. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 623–624.
  3. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 428–430.
  4. ^ 大間々町誌編さん室 2000, p. 470.
  5. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 471–472.
  6. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 493–502.
  7. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 490–493.
  8. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 486–487.
  9. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 487–489.
  10. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 502–507.
  11. ^ 県連の歩み|昭和35年~44年”. www.jimin-gunma.jp. 自由民主党群馬県支部連合会. 2023年12月19日閲覧。
  12. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 507–510.
  13. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 510–516.
  14. ^ a b c 大間々町誌編さん室 2000, p. 408.
  15. ^ a b 大間々町誌編さん室 2000, p. 525.
  16. ^ 大間々町誌編さん室 2000, pp. 403–404.

参考文献

  • 大間々町誌編さん室 編『大間々町誌』 別巻6 特論編 歴史、大間々町誌刊行委員会、2000年3月31日。 

関連項目

外部リンク

議会
先代
荒舩清十郎
衆議院副議長
第50代:1972年
次代
秋田大助
先代
野原正勝
衆議院農林水産委員長
1962年 - 1963年
次代
松本一郎
先代
小平久雄
衆議院商工委員長
1958年 - 1959年
次代
中村幸八
公職
先代
中馬辰猪
建設大臣
第40代:1976年 - 1977年
次代
櫻内義雄
先代
西村直己
農林大臣
第40代:1968年 - 1970年
次代
倉石忠雄
党職
先代
佐々木秀世
自由民主党国会対策委員長
第13代:1967年 - 1968年
次代
園田直
先代
木暮武太夫
自由民主党群馬県支部連合会会長
1967年 - 1986年
次代
小渕恵三



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