笹本一雄とは? わかりやすく解説

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笹本一雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 09:30 UTC 版)

笹本 一雄(ささもと かずお、1898年明治31年)6月20日[1] - 1964年昭和39年)6月11日[1][2][3])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員

経歴

群馬県[2][注 1]新田郡太田町[1](現太田市)で、警視庁職員・笹本一郎、うらの四男として生まれる[1]。群馬県立館林中学校[2][3](現群馬県立館林高等学校)を経て明治大学法科で学んだ[1]

内閣調査事務嘱託、軍需省嘱託、商工省事務嘱託などを歴任[1][2][3]。その後、朝鮮総督府顧問に就任[1][2][3]。帰国して、商工省総務局嘱託、帝国信報社経済部記者となり、東洋電線取締役、東亜窯業取締役などを務めた[1][2][3]。また、中小企業経営者を対象として大政翼賛会により組織された新産業連盟の会長に就任した[1][3]

戦後、大陸引揚者の雇用のため東洋海運倉庫を組織して社長に就任[1][3]。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に立候補を計画したが、公職追放[4]により断念した[1]

追放解除後、1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙群馬県第2区から無所属で出馬して落選[5]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙で初当選した[1][2][3][6]。その後、第27回総選挙で再選されたが[3][6]第28回総選挙では次点で落選[6]。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙で再選され[1][6]、衆議院議員に通算3期在任した[2][3]。この間、日本航空工業会顧問、第2次池田内閣防衛政務次官日本民主党政調会貿易部長、同遊説局長、自由民主党産業組織局商工部長などを務めた[1][2][3]。その後、第30回総選挙に立候補したが次点で落選した[7]

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』296頁では東京都出身。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『群馬県人名大事典』233頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』281頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』296頁。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者536頁。公職追放の該当事項は「商報理事」。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』73頁。
  6. ^ a b c d 『国政選挙総覧 1947-2016』74頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』75頁。

参考文献

  • 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



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