長谷川国太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 長谷川国太郎の意味・解説 

長谷川国太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 01:24 UTC 版)

長谷川 国太郎
生誕 1877年1月25日
日本 兵庫県
死没 (1957-03-09) 1957年3月9日(80歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1899年 - 1932年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

長谷川 国太郎(長谷川 國太郎、はせがわ くにたろう、1877年明治10年)1月25日 - 1957年昭和32年)3月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴・人物

兵庫県加東郡小部野村、のちに社町野村(現在は加東市)の庄屋に生まれる[1]1899年(明治32年)陸軍士官学校第11期卒業[1]

1923年(大正12年)8月に陸軍歩兵大佐函館連隊区司令官、1926年(大正15年)3月に歩兵第12連隊長を経て、1929年(昭和4年)8月に陸軍少将に昇進[2]。 歩兵第7旅団長に補任する[2]。 その後は、1931年(昭和6年)8月に第6師団司令部附を経て、1932年(昭和7年)8月8日に待命、同年8月30日に予備役に、1936年(昭和11年)4月1日に後備役に編入した[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

親族

経歴

脚注

  1. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』574頁。
  2. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』164頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  4. ^ a b 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年、ハ34頁。「二見秋三郎」秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年、139頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長谷川国太郎」の関連用語

長谷川国太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長谷川国太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長谷川国太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS