東洋学
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主要な東洋学研究機関・団体
( )内の年代は存続期間および設立年。なお現状分析的な地域研究を中心とする機関・団体(例えば満鉄調査部やアジア経済研究所など)は含まない。
欧米
- ナポリ東洋大学(1732年)
- 欧州における最古の東洋学の研究教育機関。
- 大英博物館(1759年)
- 1802年、ナポレオンのエジプト遠征で収集されたのちイギリスが差し押さえた古美術・考古学資料(ロゼッタ石が含まれる)を受け入れ、19世紀半ばには東洋古代部門が新設された。またニネヴェ・ニムルド(1850年代)、カルケミシュ(1910年代)、ウル(1920年代)で遺跡発掘を実施するなど、古代オリエント学・聖書考古学の研究を進めた。
- ベンガル・アジア協会(英 / 1784年)
- 正式名称は「アジアの歴史・古文物・技芸・学問・文学を研究するためベンガルに設立された協会」。W・ジョーンズらを中心に当時イギリス支配下にあったカルカッタ(コルカタ)に設立。アジア全般とりわけインドに関する自然・人文・社会・歴史・学芸などについて情報収集や調査研究を行った地域研究の学会。インド独立後はインド人学者によって継承され、現在に至っている。
- フランス・アジア協会(1822年)
- ド・サシを会長としてパリで設立された学会。設立の年に創刊された機関誌『Journal Asiatique』(JA) は、フランスでは最古の東洋学の学術雑誌である。
- イギリス王立アジア協会(1823年)
- ベンガル・アジア協会に引き続き、インド学・法学の権威であったコールブルックを中心に英本国に設立された学会。特にイギリス帝国勢力圏内のアジア諸地域の自然・文化・社会・歴史・学芸についての情報収集や調査報告を行った。イギリスの勢力拡大に伴い各地に支部を置く大組織となり、各植民地の独立後に活動は次第に衰退してきたものの現在も存在している。
- 国際アジア・北アフリカ研究会議(1873年)
- 東洋学に関する最も権威のある国際的学会連合。初代会長は日本学者のロニー。第1回大会はパリで開催され、当初は「国際オリエント学会議」と称し、のち創立100年を記念して同じパリで開かれた第29回大会(1973年)には国際アジア・北アフリカ人文化学会議と改称した(先述)。その後現在の名称 (International Conference for Asian and African Studies) に改称。
- フランス極東学院(EFEO / 1898年)
- 当時フランス支配下にあったサイゴンに「インドシナ考古調査団」として設立され、2年後の1900年、インドシナ総督府の所在地であるハノイに移転し極東学院と改称。東南アジアのみならず中国・インド・日本などのアジア諸国の古典学・考古学・人類学的調査研究を進め、アンコール学のグロリエ、東南アジア学のセデス、中国学のシャヴァンヌ、ペリオ、マスペロなどが集まり、フランス東洋学のメッカとなった。本部は1968年パリに移転し現在に至る。日本の東洋文庫と学術交流協定を結んでいる。
- ロンドン大学東洋アフリカ学学校(SOAS / 1916年)
- 「東洋アフリカ研究学院(研究所)」「東洋アフリカ学部」とも。西欧諸国の東洋学研究機関のなかでは歴史が古く、ロンドン大学内の「東洋語学校」として設立された。その後20世紀に入って「東洋(オリエント)研究学院」(東洋学部)と改称、さらに1938年現在のように改称された。
- ロシア科学アカデミー東洋学研究所(1930年)
- 前身を1818年創立の旧ロシア帝国の科学アカデミー・アジア博物館として、ロシア革命後の1930年にソ連科学アカデミー東洋学研究所としてサンクトペテルブルクに設立された。65言語に渡って約8万5千点の文献を所蔵する。
日本
現存しないもの
- 満州朝鮮歴史地理調査部(1908 - 1914年)
- 満鉄東亜経済調査局(1908 - 1945年)
- 満鉄の調査機関の一つとして東京に設立され、1920年代以降大川周明の主宰下で次第に東南アジア・イスラーム世界に関する研究を行った。敗戦により解体・廃止されたが、前嶋信次など第二次世界大戦後の代表的な中近東・西アジア研究者を育てたことでも知られる。
- 東方文化学院(1929 - 1948年)
- 義和団の乱賠償金による日中共同の東方文化事業に基づき、東洋文化に関する文献史料の蒐集、学術研究の報告を行う研究機関として設立され、東京・京都に研究所を置いた。両研究所の運営はそれぞれ東京大学・京都大学の両帝国大学の教官が担当した。1938年に両研究所は分離独立し東京は(新)東方文化学院、京都は東方文化研究所と改称、中国文化の歴史的研究を行ったが、東京では中国の現状分析的な地域研究も担当した。
- 回教圏研究所(1938年 - 1945年)
現存するもの
- 東洋文庫(1924年)
- 中華民国総統府顧問であったモリソンの中国関連の洋書コレクション(モリソン文庫)を三菱財閥の岩崎久弥が購入、これに漢籍を加え財団法人として設立。わが国初の東洋学専門図書館で、研究所も併設された。その後スタイン・ペリオ収集史料の複写など中国語以外のアジア語文献も収集対象に加え、戦後の1948年には国立国会図書館支部となった。現在は特定公益増進法人に認定された財団法人として、東洋学に関する文献の収集・保存・公開・研究・普及・展示など多岐にわたる活動を行っている。 フランス極東学院と提携関係にある。学術雑誌の『東洋学報』が知られる。
- 静嘉堂文庫(1940年)
- 清の陸心源の蔵書(宋・元代の版本コレクションが含まれる)を1907年三菱の岩崎弥之助が購入、これを基礎に設立された和漢の古書・古美術品の文庫。1924年に公開を開始し1940年に財団法人化した。1947年財政難もあって国会図書館の支部図書館となったが、1970年には再び三菱グループの管轄に戻り私立図書館となっている。
- 東京大学東洋文化研究所(1939年)
- 戦後、先述の東方文化学院(東京)を吸収。アジアにおける歴史・文化の研究のほかに現状分析的な地域研究も行う。
- 京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター(2009年)
- 先述の東方文化研究所が京都大学の人文科学研究所・西洋文化研究所と合体して新たに人文研が設立された(1949年)際、東洋学の部門は東方部として編入され、また附属機関として「東洋学文献センター」が設置された。その後の改編により東洋学文献センターは「漢字情報研究センター」(2000年)、ついで現在の「東アジア人文情報学研究センター」に改称。主として東アジアの歴史・文化の研究が行われている。東洋学部門の機関誌としては『東方学報』。
- 戦前期、京都帝国大学を中心とする若手研究者によって結成されたもので、個別大学の東洋史研究団体の中では古い歴史を持つものの一つ。機関誌『東洋史研究』。
- 東方学会(1947年)
- 日本オリエント学会(1954年)
- 三笠宮崇仁の提唱により設立。狭義の(古代)オリエント学者および中東研究者が結集している。関連施設に「中近東文化センター」がある。
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