アジア協会 (フランス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/31 01:59 UTC 版)
アジア協会(アジアきょうかい、フランス語: Société Asiatique)は、1822年に設立された、東洋学・アジア研究を目的とするフランスの学術団体。本部はパリにある。
概要
アジア協会は19世紀はじめの東洋学の高まりを反映して、1822年4月1日に設立され、1829年4月15日の勅令で公式に承認された。初代の会長はシルヴェストル・ド・サシ、書記はガルサン・ド・タッシだった[1]。
アジア協会と名がついているが、マグリブから極東までの広大な領域に関する学識の発展と伝播を目的としている[2]。
協会の図書館には10万冊以上の書籍を蔵し、200種類ちかくの定期刊行物を継続購読している[2]。
機関誌『Journal Asiatique』(JA)を1822年に創刊し、現在も刊行している(半年刊)。フランス最古の東洋学の学術雑誌である[3]。
著名な会員
1832年に死亡した人物が多いのは、パリでコレラが大流行したため。
- アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシ (1758-1838)
- アントワーヌ=レオナール・ド・シェジー (1773-1832)
- ジャン=ピエール・アベル=レミュザ (1788-1832)
- ジャン=フランソワ・シャンポリオン (1791-1832)
- ウジェーヌ・ビュルヌフ (1801-1852)
- ジャーム・ダルメステテール (1849-1894)
- シルヴァン・レヴィ (1863-1935)
- エドゥアール・シャヴァンヌ (1865-1918)
- ポール・ペリオ (1878-1945)
- アンリ・マスペロ (1883-1945)
- ポール・ドミエヴィル (1894-1979)
脚注
- ^ Société Asiatique > Histoire, Académie des Inscriptions et Belles-Lettres (フランス語)
- ^ a b Société Asiatique, Académie des Inscriptions et Belles-Lettres (フランス語) (英語)
- ^ Journal Asiatique, Peeters Publishers
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「アジア協会 (フランス)」の例文・使い方・用例・文例
- アジア協会
- 1月23日,全豪オープンテニス選手権の男子シングルス4回戦で,第24シードの錦(にし)織(こり)圭(けい)選手が第6シードのジョーウィルフリード・ツォンガ選手(フランス)を破った。
- 彼は決勝で世界ランク1位の車いすテニスプレーヤー,ステファン・ウデ選手(フランス)を6-4,6-2で破った。
- 他の出場チームは,欧州チャンピオンのオリンピック・リヨン(フランス),豪州チャンピオンのキャンベラ・ユナイテッド,なでしこリーグカップの優勝チーム,日テレ・ベレーザの予定だ。
- 彼女はコリン・マテル選手(フランス)に大差をつけて優勝した。
- 1月24日,車いすの部男子ダブルス決勝で国(くに)枝(えだ)慎(しん)吾(ご)選手(29)はパートナーのステファン・ウデ選手(フランス)とともに,ゴードン・リード選手とマイケル・シェファーズ選手のペアを6-3,6-3で破り,優勝した。
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