他言語・言語学への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 14:37 UTC 版)
「サンスクリット」の記事における「他言語・言語学への影響」の解説
サンスクリットは近代インド亜大陸の諸言語にも大きな影響を与えた言語であり、ドラヴィダ語族に属する南インド諸語に対しても借用語などを通じて多大な影響を与えた。さらには主に宗教を通じて東南アジアや東アジアにも影響を与えた。東南アジアへの伝播は主にヒンドゥー教を通じてのものであり、クメール王国では15世紀ごろまでサンスクリットの碑文が多く作られた。また東アジアへは大乗仏教を通じて中国やチベットに伝播した。 また、サンスクリットはヒンディー語の成立に大きな影響を与えた。もともと北インドの広い範囲ではヒンドゥスターニー語を基盤としてペルシア語やアラビア語の語彙や文法を取り入れたウルドゥー語が使用されていたのだが、19世紀に入りイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立が激しくなると、ヒンドゥー教徒側はウルドゥー語からペルシア語やアラビア語の借用語を取り除いてサンスクリットへと変える言語純化を行い、ヒンディー語が成立することとなった。この動きは、1947年のインド・パキスタン分離独立によってさらに強まった。 また、サンスクリットの研究は言語学の成立と深くかかわっている。イギリスの裁判官であったウィリアム・ジョーンズは、ベンガル最高法院に赴任していた1786年、サンスクリットとギリシア語やラテン語といった欧州系諸言語、さらに古代ペルシア語との文法の類似点に気づき、これら諸語が共通の祖語から分岐したとの説をベンガル・アジア協会において発表した。この発表は後世に大きな影響を及ぼし、これをもって言語学が誕生したと一般的に考えられている。 さらにジョーンズの発見はインド学の発展を促し、1814年にはコレージュ・ド・フランスにヨーロッパ初のサンスクリット講座が開設されてアントワーヌ=レオナール・ド・シェジーが教授に就任し、1818年にはドイツのボン大学にも開設され、以後徐々にヨーロッパ各地の大学にサンスクリット講座が開設され研究が進むようになった。
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