アジア史
アジア史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/21 19:22 UTC 版)
「ジョアン・デ・バロス」の記事における「アジア史」の解説
『アジア史』の第1編は1552年に現れ、反響がきわめて高かったために、王はただちにマヌエル1世の年代記を書くことをバロスに命じたほどだった。しかしバロスはさまざまな職務についていたためにその任務を引きうけられず、かわりにダミアン・デ・ゴイス(英語版)によって書かれた。『アジア史』の第2編は1553年、第3編は1563年に出版されたが、第4編は未完成で残され、バロスの没後かなりの時間を経た1615年にようやく出版された。 『アジア史』はインドとアジアにおけるポルトガル人の早期の歴史が記されており、東洋の歴史学者や地理学者、およびポルトガル人による記録に関して注意深く研究がなされている。この書物は明晰な説明と秩序のある配列を特色とする。また記事は生き生きとしており、たとえばヴィアンタナ王がポルトガルの駐マラッカ大使らを煮殺してその死体を犬に与えたことを記している。 ディオゴ・デ・コウトは『アジア史』の続編9編を書いた。1778年から1788年にかけてリスボンで14編をまとめて『Da Asia de João de Barros, dos feitos que os Portuguezes fizeram no descubrimento e conquista dos mares e terras do Oriente』として新版が出版された。この版には歴史学者マノエル・セヴェリム・デ・ファリアによるバロスの生涯と全巻の詳細な索引が附属する。 日本語訳:ジョアン・デ・バロス『アジア史』池上岑夫; 生田滋訳、岩波書店〈大航海時代叢書第II期〉、1980-1981。(2冊)
※この「アジア史」の解説は、「ジョアン・デ・バロス」の解説の一部です。
「アジア史」を含む「ジョアン・デ・バロス」の記事については、「ジョアン・デ・バロス」の概要を参照ください。
- アジア史のページへのリンク