サンタージー・ゴールパデー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 22:12 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動サンタージー・ゴールパデー(マラーティー語:संताजी घोरपडे, Santaji Ghorpade, 生年不詳 - 1697年7月)は、インドのデカン地方、マラーター王国の武将。
生涯
サンタージーはゴールパデー家に生まれた。ゴールパデー家はボーンスレー家の支流である。
1689年、マラーター王サンバージーが殺害されると、新たにマラーター王となったラージャーラームはシェンジ(ジンジー)に逃げ、その地を王都とした[1]。
一方、サンタージーはダナージー・ジャーダヴとともにマハーラーシュトラからカルナータカにかけてゲリラ戦を行い、ムガル帝国、そして皇帝アウラングゼーブへの抵抗をつづけた[2][3]。
サンタージーは数多くの戦いに勝利し、1692年12月にはダナージー・ジャーダヴとともにシェンジを攻撃したカルナータカ太守ズルフィカール・ハーンを破っているほか、1695年11月20日にはアウラングゼーブ支えていた武将カーシム・ハーンをチトラドゥルガ付近で殺害している。
1697年7月、サンタージーはカルナータカの森林の川で入浴中、アウラングゼーブの手先に暗殺された。
脚注
参考文献
- 小谷汪之編『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年
関連項目
- サンタージー・ゴールパデーのページへのリンク