アジア及びキューバの初の宇宙飛行士とミッションの終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 03:57 UTC 版)
「ソユーズ35号」の記事における「アジア及びキューバの初の宇宙飛行士とミッションの終わり」の解説
次の打上げ窓では、キューバのインターコスモスミッションが行われると予測されていたが、実際はアジア初の宇宙飛行士であるベトナム人のファム・トゥアンがヴィクトル・ゴルバトコとともにソユーズ37号に乗り、7月23日に打ち上げられた。この打上げは、オリンピック期間中に世界の注目をソビエト連邦に集めるタイミングで行われた。乗組員は宇宙船を交換し、ソユーズ36号に乗り込んで7月31日に地球に帰還した。 ソビエト連邦のメディアは、ファム・トゥアンがベトナム戦争のエース・パイロットであり、アメリカ軍機を何機も撃墜していたことから、政治的な意味合いを指摘し、オリンピックをボイコットしたアメリカに対する巧妙な報復であると解釈した。 翌日、ポポフとリューミンはソユーズ37号に乗り、機体を前方ポートに移した。このことは、次の訪問者が間をあけずに訪れるのではとの憶測を呼んだが、訪問者もプログレス補給船もすぐには来なかった。乗組員は、地上の科学者と共同でエレーナFガンマ線望遠鏡を用いた実験を行った。この実験は地上にある別の望遠鏡との比較のために行ったが、実験で用いたゴム気球が故障し、地上の研究者がそこに辿り着く前に多くの装置は盗まれてしまった。 次の着陸窓は、10月2-15日で、キューバ人宇宙飛行士の打上げは9月24日と予想されたが、ソユーズ38号が予想よりも約1週間早い9月18日に打ち上げられた。 初めてのアフリカ系宇宙飛行士でもあるキューバ人のアルナルド・タマヨ・メンデスは、ユーリ・ロマネンコとともにサリュート6号を訪れた。キューバの国民が同胞を頭上に眺められるように早めの打上げ日程が選択された。27の材料処理、医学実験が行われた。ソユーズ35号の乗組員がその後すぐに地球に帰還するため、ソユーズ38号の乗組員は、9月26日に地球に帰還する際に宇宙船の交換を行わなかった。 帰還間近の乗組員は補給品を必要としないと考えられたため、9月28日のプログレス11号の打上げは驚かれた。実際に、10月11日にはソユーズ35号の乗組員が帰還しており、プログレスからは一部が降ろされただけだった。プログレス11号の真の目的は、故障した推進システムに代わり、サリュート6号の軌道を上げることであった。乗組員は185日間の宇宙滞在という新記録を樹立したが、それまでの記録175日間に対し、国際宇宙航行連盟が求める10%以上の更新という基準を満たせず、認定されなかった。リューミンは3度のミッションで352日間を宇宙で過ごし、最長記録を更新した。通常とは異なり、乗組員は飛行中に平均2kg太った。これは、彼らが厳しい運動と食事を遵守したためであると説明された。着陸の翌日には、彼らは30分の散歩ができ、10月15日までにテニスができるようになっていた。数千枚の地球資源の写真、4万枚以上のスペクトログラムが撮影された。サリュート6号への4度目の乗組員の滞在は、過去3度の様々な技術的失敗を踏まえ、完全な成功を収めた。
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