1998年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

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1998年死刑確定囚(7人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:37 UTC 版)

日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事における「1998年死刑確定囚(7人)」の解説

事件名死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)京都・大阪連続強盗殺人事件神宮雅晴) 1998年1月16日 1984年9月4日 1943年昭和18年1月5日生まれ2020年9月27日時点大阪拘置所収監中(現在79歳)。旧姓廣田1997年11月の上告審弁論後に改姓届を出し、姓を結婚前の「神宮」(しんぐう)に戻した。元京都府警察巡査部長だが、西陣警察署十二坊派出所勤務していた1978年3月署内から盗んだ拳銃強盗傷人事件起こし同月24日付で懲戒免職1981年2月大阪高裁懲役7年処され同年4月から加古川刑務所服役していたが、1984年8月30日仮出所した。1984年9月4日、かつて勤務していた十二坊派出所京都府京都市北区)の巡査当時30歳)を近く船岡山公園呼び出して包丁刺殺し、拳銃強奪。さらに約3時間後、大阪府大阪市都島区金融業者支店侵入し奪った拳銃店員当時23歳)を射殺し現金60万円奪った一連の事件警察庁により、広域重要115事件指定されている。1988年10月25日大阪地裁第1刑事部青木暢茂裁判長)で死刑判決を受け、1993年4月30日大阪高裁第6刑事部村上保之助裁判長)で控訴棄却判決受けた1997年12月19日最高裁第三小法廷園部逸夫裁判長)で上告棄却判決受けた判決への訂正申立も、1998年1月13日付で棄却され同月16日死刑確定。2事件とも無実主張し1998年12月3日から7回の再審請求行ったが、いずれも棄却され2011年1月21日8回目再審請求起こしている。控訴中、雑誌噂の眞相』(1992年1月号)に実名当時は「廣田雅晴」)で手記毎日先陣としたマスコミ報道陣は「赤報隊」に射殺されよ!」を寄稿している。また2013年には、再審請求費用工面するため、「極悪死刑囚笑福転倒」と題する原稿徳間書店から出版して印税得ようと、原稿同封した知人宛の信書郵送しようとしたが、不許可にされたことから、同年4月27日付で国に対し処分取り消し求め訴訟提起大阪地裁第7民事部田中健裁判長)は2014年5月22日原告神宮)の請求認め判決言い渡したが、大阪高裁義之裁判長)は同年11月14日原判決取り消し請求棄却する判決言い渡した最高裁第三小法廷山崎敏充裁判長)は2016年5月31日付の決定神宮の上告を棄却したため神宮敗訴確定熊本大学生誘拐殺人事件春田竜也1998年7月24日 1987年9月14日 1966年昭和41年4月18日生まれ旧姓田本)。1988年3月30日熊本地裁荒木勝裁判長)で死刑判決1991年3月26日福岡高裁前田一昭裁判長)で控訴棄却判決上告中に脱獄未遂起こし当時福岡拘置所所長自殺1998年4月23日最高裁第一小法廷遠藤光男裁判長)で上告棄却判決受けた同年7月22日付で判決訂正申立棄却する決定を受け、同月24日付で死刑確定2002年9月18日福岡拘置所死刑執行36歳没)。 岐阜県坂祝町一家3人殺事件 (H) 1998年6月3日 1994年6月3日 殺人前科あり。1994年6月岐阜県加茂郡坂祝町で、交際中の女性とのトラブルから、女性実家侵入し女性父親当時61歳)、母親当時59歳)、妹(当時31歳)の3人を監禁し出刃包丁で胸や背中などを刺して殺害した1998年5月15日岐阜地裁沢田経夫裁判長)で死刑判決を受け、名古屋高裁に控訴したが、6月3日に自ら控訴取り下げ死刑確定2002年9月18日名古屋拘置所死刑執行51歳没)。 富山・長野連続女性誘拐殺人事件 (M) 1998年10月9日(正式確定日) 1980年2月23日 - 3月7日 1946年昭和21年2月14日生まれ本籍地および住居富山県富山市上千俵872番地2020年9月27日時点名古屋拘置所収監中。戦後7番目の女性死刑囚。「警察庁広域重要指定111号事件」。1980年2月23日富山市帰宅途中女子高生当時18歳)を誘拐し2日後2月25日)に睡眠薬飲ませた上で腰紐用いて絞殺した富山事件)。富山事件身代金獲得失敗したため、8日後(3月5日)には長野県長野市帰宅途中女性会社員当時20歳)を同様に誘拐し、翌6日殺害長野事件)。遺体山中遺棄し2人家族それぞれ電話身代金要求した当初被害者2人殺害・死体遺棄実行したのは、Mと愛人関係にあった男性共謀共同正犯として起訴)とされていたが、検察第一審の第125公判1985年3月5日)で「殺害・死体遺棄ともMが被害者睡眠薬飲ませた上で実行した」と主従関係逆転させた。1988年2月9日富山地裁大山貞雄裁判長)は「一連の事件はMの単独犯行」と認定し被告人Mに求刑通り死刑判決言い渡した一方共謀共同正犯とされていた男性求刑無期懲役)については「(起訴根拠とされた)Mの自白には信用性がなく、共謀認められない」として無罪言い渡した死刑不服としたMと、(男性について有罪訴えた富山地検名古屋高裁金沢支部控訴したが、1992年3月31日名古屋高裁金沢支部濱田武裁判長)は「両事件ともMの単独犯行男性関与証拠認められず、むしろ共謀否定する消極事情さえも指摘できる」として、双方控訴棄却(Mに死刑男性無罪言い渡した原判決支持)する判決言い渡した名古屋高検が同判決の上告を断念したため、男性1992年4月15日0時無罪確定。Mは1998年9月4日最高裁第二小法廷河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け、同年10月7日付の第二小法廷決定判決訂正申立棄却決定 事件番号平成10年(み)第4号平成10年(み)第5号]により、同月9日死刑確定上告審判決前の1998年7月東京拘置所収監されていた死刑囚養子縁組して「F」姓に改姓した。さらに2000年1月時点では「S」姓を名乗っていたが、2007年8月31日時点では元の「M」姓に戻っている。2021年1月までに5度にわたり再審請求起こしたが、いずれも棄却されている。 中村橋派出所警官殺害事件 (S) 1998年9月29日 1989年5月16日 1969年昭和44年1月1日生まれ2020年9月27日時点東京拘置所収監中(現在53歳)。元陸上自衛官銀行強盗のために拳銃奪おうとして、練馬警察署の「中村橋派出所」を襲撃し警察官2名をサバイバルナイフ刺殺した。派出所勤務中の警察官2人同時に殺害され殉職した事件は、1955年昭和30年以降では初だった1991年5月27日東京地裁中山善房裁判長)で死刑判決1994年2月24日東京高裁小林充裁判長)で控訴棄却判決受けた1998年9月17日最高裁第一小法廷井嶋一友裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定死刑確定後2003年8月犯行時の責任能力問題として再審請求宮代事件村松誠一郎1998年10月29日 1980年3月21日 1956年昭和31年5月17日生まれ2020年9月27日時点東京拘置所収監中(現在66歳)。犠牲者2人兄弟起訴され、兄(村松)の死刑、弟の無期懲役が確定したが、冤罪説もある。村松宮代事件について無実主張したが、1985年9月26日浦和地裁林修裁判長)で死刑判決1992年6月29日東京高裁新谷一信裁判長)で控訴棄却1998年10月8日最高裁第一小法廷小野幹雄裁判長)で上告棄却判決を受け、同年10月28日付の同小法廷決定判決訂正申立棄却決定 事件番号平成10年(み)第76号]により死刑確定死刑確定後2001年2月27日日本弁護士連合会日弁連)に対し東京拘置所自分対し違法に新技術用いたポリグラフ実験行ったり、ミクロ通信器による人工テレパシー遠隔痛覚実験などを行っている」などと人権救済申し立て、これを受けた日弁連は「村松統合失調症あるいは拘禁ノイローゼなど重篤精神疾患患っている」として、法務省対し死刑執行停止勧告した妙義山連続殺人事件 (M) 1998年12月1日 1990年12月4日1991年7月6日 1965年昭和40年2月20日生まれ2020年9月27日時点東京拘置所収監中(現在57歳)。2人への殺人罪+1人への傷害致死罪および死体遺棄罪問われ1993年8月24日前橋地裁高崎支部佐野精孝裁判長)で死刑判決1994年9月29日東京高裁小林充裁判長)で控訴棄却1998年12月1日最高裁第三小法廷元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け、同年18日付で同小法廷から判決訂正申立棄却決定を受け、死刑確定。1件の殺人については無実主張し、他の殺人傷害致死についても「犯行シンナー影響よるもの」と主張して再審請求中(2004年6月時点)。アムネスティ・インターナショナル日本支部2013年報告書死刑囚Mについて「『マイクロ波放射線曝されている』『血液紫色である』などの妄想があり、弁護団再審請求しているが、自身弁護活動関与できていない」と述べている。

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