強盗傷人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:17 UTC 版)
「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「強盗傷人事件」の解説
[全画面表示] 略地図1 廣田がバイクに発砲した現場(枳殻邸北側)2 札ノ辻郵便局(南区東九条石田町)3 六孫王神社の手水舎 1978年(昭和53年)7月17日8時30分ごろ、廣田(当時35歳)は西陣署の拳銃保管庫から、同僚が保管していた実包5発入りの拳銃1丁を盗む事件を起こした。当時、廣田は非番で自分の拳銃を収めに西陣署に行ったが、その際に幹部の立会がなく、人もいなかったことから、拳銃保管庫の扉の影に隠れ、同僚の巡査の拳銃をサックから取り出し、自分の持っていた紙袋に入れて署外に持ち出した。廣田は17日から18日にかけ、盗んだ拳銃を自宅の押し入れに隠し、19日にハンカチで包んで紙袋に入れ、制服で隠して持ち出すと、船岡山公園の失対事務所床下にハンカチでくるんだ状態で隠した。拳銃の所有者である巡査は19日朝、自身の拳銃がなくなっていることに気づき、それ以降は府警が特捜班を編成して西陣署に出入りした派出所員や、祇園祭の応援に出た署員ら13人をリストアップし、アリバイなどを調べていた。 20日16時30分ごろ、西陣署近くの公衆電話から、上鴨警察署(現:北警察署)へ「田中」と名乗る中年の男が「西陣署の拳銃はわしがやった。拳銃は後日、東寺の方から通っている警官を通じて返す」という電話をかけている。同日18時ごろ、廣田はタクシーで船岡山公園に行って拳銃を取り出し、自宅に持ち帰ると、21日9時40分ごろ、拳銃を持って自宅を自転車で出た。 同月21日11時45分ごろ、廣田は京都市下京区上珠数屋町通河原町西入ルの路上(枳殻邸北側)で、バイクで通りかかった近畿相互銀行京都支店の店長代理男性(当時32歳)めがけて1発発砲し、現金を奪おうとしたが、風防ガラスを貫通したのみで、男性がそのまま走り去ったため未遂に終わった。その直後の12時10分ごろ、札ノ辻郵便局(南区東九条石田町)に強盗目的で押し入り、窓口係職員の女性(当時45歳)に対し、銃を突きつけて金を出すよう迫ったが、相手が悲鳴を上げたため、拳銃で頭を殴りつけて1週間の怪我を負わせ、自転車で逃走した。同日16時ごろ、再び上鴨署に「田中」と名乗る男が「拳銃は今でも持っている。全弾山で撃った。薬莢はそちらに送る」などという電話をかけている。
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