富山事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「富山事件」の解説
Mは2月25日18時ごろ、睡眠薬「ネルボン」4錠と腰紐を持ち、フェアレディZの助手席にAを乗せて「北陸企画」を出た後、途中でAに睡眠薬を飲ませて眠らせようとしたが、「錠剤は飲めない」と言われたため、疲労させて眠らせた。20時30分ごろに古川町の「エコー」に立ち寄り、21時ごろに店の電話ボックスから北野に電話して、神岡町内で待ち合わせる約束をした。23時ごろ、Mは待ち合わせ場所に到着し、20分後にバンでやってきた北野と合流。古川町数河のドライブイン「すごう峠」付近の駐車場で、北野が熟睡していたAを腰紐で絞殺した。
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富山事件(無罪を主張)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「富山事件(無罪を主張)」の解説
「誘拐ではなく、北野から頼まれた通り、富山駅までAを迎えに行っただけだ。事件当夜、Aを北野に引き渡して帰宅したが、翌日未明に北野から電話で呼び出され、殺害を打ち明けられた。このようなMの供述は、初公判の2か月前から弁護人に述べていたもので、信用できる」
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富山事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 08:39 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「富山事件」の解説
「富山事件」の被害者である同県婦負郡八尾町在住の女子高生A(当時18歳:県立八尾高校3年生)は事件当時、金沢市の調理師専門学校への入学を控えていた。Mによって誘拐された1980年2月23日の朝、Aは父親の運転する車で、友人の女子生徒(高校3年生)とともに、専門学校への入寮手続きを取るため、金沢市へ行った後、18時59分に北陸本線の電車で富山駅(国鉄)に到着。駅の公衆電話から家に電話を掛け、応対した母親に「迎えに来て」と言ったが、母が「父は夜勤だから今寝ている。自分も忙しくて来れない」と辞退したため、Aは同行した友人からバス代を借りて別れ、19時50分発の八尾行きバス(富山地方鉄道)を待っていた。 北野は、富山事件の発生時期(2月23日午後 - 26日朝)の自身の行動について「この間、Mとは会っておらず、毎日電話で『(先述の金沢の土地取引話をめぐる)交渉がやや遅れているので、引き続き自宅で待機して欲しい』と頼まれていた。26日朝、Mから呼び出されて北陸企画事務所に行ったところ、Mから『(取引相手の)男の家の周りに警察官がいたので、金はもらえなかった』と説明され、翌日には『金沢の土地の件はしばらく様子を見る』と言われたので、それ以降、その話のことは忘れてしまった」と述べている。
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